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The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

区分わけの認識

 物事には違うものがあるのだということを大昔から人間は認識してきており、その違いを細かく分けることこそが社会を作ってきたと言っても過言ではないと思います。
 例えば、「みどり」という色の名前であっても、昔の認識は今の認識よりも広く、今の感覚で言う青い色も含んでいたりします。

 この区分けはまだなんとなく理解できても、社会構造を作っている区分け、例えば「男女」「国家」「身分」というものが曖昧で変化するものだという考え方は特に現代では基本的にしないことになっています。
 ですが、科学的にといいますか、人が人として現れたころから存在していると思われるこれらの内容は本来しっかり分けられるものであるはずがなく、分けているのは"便宜上"なのだという認識が根本的に必要だと感じることは多々あります。

「男女」
 さて、一番最初に一番キャッチーかもしれない「男女」についても言及してみます。
 男女というのはその性機能の有無に言及することが多いのですが、当然ながら子供が生めない女性は世の中にはごまんといたりします。また、男性機能を持ちつつも、子供を作らせることができない男性というのもごまんといたりしますし、対外に出ている性器の発達が未熟で女性と勘違いされた男性というのも存在しています。
 これとは別に本人の性自認というものがあるのですが、実際問題として現状これを証明する手段はなく、本人の自己申告に頼っているのが現状です。
 そもそも、生物的な性別がある程度曖昧なものだという観点に立てば、精神的な性自認が確立するわけがないだろうというのが基本的な考え方になるのですが、その生物的な性ですら曖昧だという話が染みついた社会制度の影響でどうにもイメージしにくいのだと思います。
 それは一言でいえば、男女かどうかは体内の男性ホルモンと女性ホルモンの量に起因しているので、その量の結果男性機能や女性機能が構築されるというだけの話でしかないということになります。そして、男性であっても女性ホルモンが全く出ていない人はおらず、女性であっても男性ホルモンが全く出ていない人はほとんどいません。ですから、世の男性はどこか女性が入っているのが当然であり、世の女性はどこか男性が入っている方がむしろ当然である、と言えます。
 そういわれても、なかなかわかりにくい、ということで簡単な図を作ってみました。
MF.png
 なんじゃこりゃ、という感じの図かもしれませんが、これが大まかな男女の関係図を表しています。
 右の青が男性、左の赤が女性です。そして、世の中の男女は白い枠の中のどれかに入っています。
 この枠の中は赤でも青でもないほとんど紫で少し赤だと断言できる部分と青だと断言できる部分が見える程度です。
 そして、上下の薄くなっているところは、そもそも性自体が薄い人たちになります。
 細かいことを言えば、ホルモンの量と実際に発現するかどうかはまた別だったりしますので、がっつり男性ホルモンがでているけれど女性らしい人、女性ホルモンがたくさんでているけど男性らしい人というのは存在しています。
 それでもここで認識してもらいたいのは生物的な性というのはこの中央の紫のようなもので、これを男女ロールに合わせて必死に区分けしているのが現代社会だということです。
 当たり前なのですが、それは非常に手間と無理がかかることであり、かつ、必ず例外を生んで不満を生むということが目に見えてわかるということです。
 そして、科学というのは社会に配慮するものでもないんでもないですし、ある程度の定量化をすることもできますが、「結論?どうしようもないね」という一般的に見れば匙を投げたかに見える回答こそが"正しい"ということが実は多めです。
 だから、医学的、科学的に自分の性別を判断してもらいたいと望む人たちは多くいますが、あくまでそれは紫色の部分を一部の必要な条件に合わせて理屈をつけて分割しているに過ぎない。それでも、分割することによって得られる利益も科学・社会の両面で少なからず存在していた、ということも念頭に置く必要があります。
 その考えの中で少なくともいえるのは何らかの益となるならともかく、不必要に男女の区分けを積極的にしても仕方がないというある種の諦めが必要だということであり、その手間が膨大だったり、膨大だったりする割に誰も得しないならさっさとやめちゃえ、ということでしょう。
 しかし、特にあまり良い境遇でない時ほど人はそういう誰も得しないところに力を入れていたりします。そして、それは社会だとか科学だとかいう話を理由にしていたりします。社会も科学も別にそんなものに力を貸すことはありませんし、今わかっている事実からは程遠いと告げるだけだと思います。
 この図を見てなんてカオスなんだと思われた方もいらっしゃると思いますし、科学がそんなものだといわれて不安になった方もいらっしゃるかと思いますが安心してください。次からもっとカオスで不安になっていきますので。

「国家」
 今、世界地図を見ると国境線が引かれてはっきりとどこからどこまでがどういう国なのかが判別できます。ですが、国というものが人の中に芽生えた頃、この意識はある程度の共通性を持ちつつも、非常に柔軟な動きをしていました。
 一部斑上の国境というのは存在しておりますが、可能な限りまっすぐ奇麗なものを引こうとするのは制度上の困難さからくるものであったりするので、人本来が思っている国の意識とは異なるものとなってしまっています。
 安全保障の体制が構築できるのであれば、以下のような国家地図というのが本来は人によって最も正しいものなのでしょう。
culture.png
 飛び地や色が混ざり合ったところ、そして違う色でも一部では混ざったりして複雑な状況を作り出していますが、個々の国家アイデンティティーとしては特に不満はありません。
 国家観は人の数あるのではなく、地域やごく近い周囲の人間関係で構築されていきますので、言葉として存在しますが、それを厳密な区間として整備しなければいけないのは管理制度と防衛上の効率が理由ですので、あくまで技術的な要因に留まります。
 本来の国家はきっちりと分けられているべきである、という考えは人にはない、ということは覚えておくとよいでしょうし、必ずしも切り分けた国家同士が良いと断言する必要もありません。
 斑上になってしまっては国家がなくなってしまったも同じと悲観する必要もありません。一人一人の中に国家はありますし、それは集まって実際に大きな集団を形成しています。
 同様に土地の所有に関しても共同所有の概念を広げてもいいですし、お互いの合意に基づいた関係が築けることが国家の形以上に重要であり、昔からそうしてきた、というだけの話なのです。

「身分」
 男女ロールや国よりも新しそうで、人間以前のお猿さんに近い頃から存在している身分。
 基本的にはオスが性的優位性から作ることが多いのですが、現代社会では女性にも推奨されるようになっていきました。
 通常は平面のピラミッド型で説明されることは多いのですが、実際には猿山同様に立体的な円錐を描く方がより実態に近く、また、最も数の多い最低辺以下にも身分は存在しており、大まかには逆円錐形のヒエラルキーが存在しています。
h2.png
 身分を平面ではなく立体で描いたもう一つの理由として、単純に狭い一つの山(集団)で描いた場合はそれでも十分である場合も多いのですが、実際には個々のヒエラルキーとは別のヒエラルキーに所属する個体が必ず存在するからです。
 人は特に移動範囲と交友関係が現代になるほど広く、その制限も薄いのが特徴です。国家の場合は立体的な配置が限定されるため、平面上の所属意識となるのですが、身分は必ずしもその内部であっても平面になり切れない理解が必要です。
h1.png
 ここまでくるとどれが上でどれが下かが分かり難くなってきます。
 現代は特に単純な順位でアイデンティティーの確認の意味を含めてはっきりさせたいと願う人が多い中、実際には複数の物差しが存在しており、それを包括的に認識することは困難な状況となっています。
 ですが、狭い範囲では明確な上下関係があり、これを崩すことは非常に困難です。逆に言えば、明確な上下は狭い範囲にしなければ成立しない、ということでもあります。
 そして、狭い範囲でも上昇するためには広い接点が必要になります。
 

 〆
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  1. 2019/04/14(日) 12:25:04|
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語学を使って活躍したい人へのお説教

 翻訳会社に勤めていた時には近くに外国語関係の学校があってそこの学生にアルバイトとして手伝ってもらうことが多々あった。
 学校としては学生に語学関係の勉強もさせつつ、関連する会社で働かせて経験を積ませれば就職に有利なので、担当の先生がちょっと引くぐらいに熱心だったのが印象的だった。
 来る生徒は当然外国語を学ぶくらいだから海外にも興味があって、それで翻訳会社で勉強しながらアルバイトできるとあって、とても真面目な人が多く、いろんな仕事をこなしてくれてとても助かっていた。

 そんな中、仕事終わりや休憩時間等で高確率で聞かれるのが「どうやったら、翻訳者/通訳者になれますか?」だった。
 外国語を学んで仕事に就こうとして思い描く職業としては花形に見えるのだろうし、実際に学校で翻訳や通訳を学んでいる子もいたから、なおさらその道のプロを志したいというのは自然な成り行きだろうとは思う。
 だが、それに対して相談を受ける私も同僚も上司も言うことは決まっていて「やめておけ」だった(言い方はもちろん大人だからもう少し諭すように伝えるけれど)。特に独立してフリーランスになろうと考えている場合は結構本気で止めていた。組織勤めになる場合はまだ見込みがあるけれど、これも個人的にはお勧めしていなかった。
 なんにせよ、「とにかくまずは普通に組織に入って経験を積む」これが答えになり、言われた学生は一様にがっかりしていた。その後バイトもフェードアウトしてしまう子は結構いて、人員補充は大変だったけど、このスタンスは今でも間違っていないと思っている。
 世間的なイメージは良く、実際に稼げる人達がいるのも事実だし、挑戦してみたらできるかもしれないというのは否定しないが、そのことをわざわざ言うような無責任さはないと思っている。

 AIや翻訳機が発達しても、語学ができることはまだまだ十分ステータスになりえるだろうし、語学を勉強することはキャリアアップとして正しいと思う。
 ただし、それはあくまで補助ツールとしての話であり、専門分野の知識や組織の仕組み、物事の流れのある上で成り立つのであって、語学にひたすら特化したところで行き着くのはいつまでたっても"補助ツール"の域をでないし、世間的には良く扱われるようでも、実際にはあまり高く扱われるわけではない。このギャップはどんなところへ行っても語学畑である以上は常に悩まされる辛辣な現実だと私は思っている。

 とどのつまり、"活躍する翻訳・通訳屋"というのは本来単独で成り立つ存在なんかじゃなくて、「語学のできる〇〇屋」が、特に語学を必要とされる場面で引っ張りだこになっているというのが一番説明としてしっくりくるのじゃないかと思う。
 なんでも対応する翻訳者・通訳者というのも決して珍しくはないが、こういう存在が呼ばれるのはそれほどディープな話でもないところで場つなぎ的に使われるということになるので、ものにもよるけれど、基本的にあまり扱いは良くなく、価値も高いとはされないし、仕事の効率化が叫ばれる中でAIや機械翻訳がなくても真っ先に削減されていく対象になっていると思っている。
 このタイプの翻訳・通訳は対応力の高さと人柄の良さが優先されるなかなか定量化しにくい「人間力」とやらを求められる傾向にあり、単純な語学勉強をひたすらやってきたタイプやプライドが高いタイプには少し厳しい面があるのと、その"人間力"というのもキャバクラやホストクラブ的な「周りの話に合わせて場をとりもつ」的なものなので、派遣してる側から見ていても正直あまり気持ちの良いものでもなかった。もちろん、それはそれでプロ意識がある面は否定しないし、それができる人は凄い人だと思って尊敬しているが、キャバ嬢やホストだってなかなか普通の人には持つのが難しい能力を活かしたしっかり尊敬できる職業なわけであるのと変わらない。
 例外は同時通訳者で、これは本当に特殊能力の部類に入り、単なる猛勉強ではまずたどり着けない域で、大量にいる通訳の中のほんの僅かでしかないので、語学畑の花形中の花形であり、これからも尊敬と地位を持って働いていけると思う。

 通常、ただひたすら語学面のみの人の場合、専門分野や組織の内情、物事の流れが分かっていないので、理解不足からとんでもない訳になることも少なくなく、このトラブルはかなり深刻なものになることが多かった。これにはいくら人間力が高くてもいかんともしがたいところがあり、各組織で翻訳・通訳者を特別に抱えるか、お抱えの翻訳・通訳業者を持って対処していくことが多かった。
 きちんと理解して翻訳・通訳をしている場合、決して低くみられることはなく、ちょっとした間違い程度には寛容で、仕事も円満に終わらせられ、安定して高い収入を維持できるため、翻訳・通訳になりたい場合はこちらを目指すのが順当と言える。

 だが、問題は翻訳・通訳を最初から目指している人はなかなかどの分野に入るかというのを決めるのが難しく、また、最初からその分野に行って語学を補助的に学んだ人に比べて、どうしても意思の方向性から不利になりがちだった。特に需要の高い特許や医療の専門分野の翻訳者要請という話もあるが、定型化された仕事の中で競争することになるので、場つなぎよりは多少マシではあるが、一部の値崩れは避けられなかったように思う。
 
 ここまで書いていることを読んできて、繋ぎ役と言われても翻訳者・通訳者になりたい!という意思の強さがある人は目指しても構わないし、それはどういう扱いを受けるか、なぜそうなるかの理由も理解したうえで目指すのであればとても立派だと思う。
 しかし、そこまでのことは世間には全然浸透していないし、理解している人というのもまずなかなかいないだろうというのが実態だろう。
 少なくとも世間的な感覚での尊敬と地位、それなりの収入を得る翻訳・通訳者はまず目指すべきではない。自分はなぜ語学をやろうと思ったのかは別の根本的な理由があったはずで、例えば、海外の映画・音楽が好きだったならば、映画や音楽の分野を目指し、その中で語学を補助ツールとして高めていけば、その分野での翻訳・通訳者になっていく道に進んでいるかもしれない。本当に語学だけが好きならば言語学者という道もあるだろうが、恐らくそういう人はかなり希少だろうということと、学者という道はまた別に困難があるので、ここでは割愛する。

 繰り返し強調するが、語学は補助ツールであり、それ単独で成り立つ仕事ではない。重要なのは専門分野知識と組織と物事の流れをきちんと押さえること。世間的なイメージにとらわれず、これから仕事を選ぶ人たちには理解したうえで現実を見て道を進んで欲しいと思う。

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  1. 2019/02/23(土) 11:15:29|
  2. 翻訳関連
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中小から有名大手へ転職したら

一般的に難しいといわれている中小から有名大手への転職ですが、ネットでもちらほら報告記があるように不可能ではありません。
結局、人の能力とタイミング、と言い切ってしまったらそうなんですが、一応私の体験を書いておきます。
これから転職しようと考えている方の参考にでもなれば幸いです。

元の会社:翻訳・通訳関係 人数2~30人ぐらいの超零細家族経営会社。
転職先:翻訳と全く関係ない異業種の総合職。数千人規模で日本全国から海外にも支店がある大手。名前を言うと結構な割合で知られている。公共性の高い重要な業務で未来を担う新規事業への意欲と技術力を持ち将来性は抜群。

転職者のスペック:30代半ばぐらいの海外大出、7月卒業のため、日本の新卒一括採用に対応できず、リーマンショック前後の煽りで選択肢がなかった。同じ海外大出仲間では就職に失敗したあげく浪人を何年もやった人は結構いたので、自分はまだマシだと言い聞かせて働いてきたが、信頼できる同僚の突然死や離職が相次ぎ、結婚するためにもこんな不安定な場所ではいけないと退職を決意。また、翻訳・通訳業界に今後の未来を感じなかったのも大きい。英語は一応、喋るとそこそこ驚かれるくらいにはできる程度。その他の言語も少々。

転職できた理由:募集していた企業で外国語ができる人材が急に枯渇していたので、早急に入れる必要があったというのが大きかったとは思います。
また、中小零細にありがちななんでもやっちゃう営業マンの経験が採用担当のツボに上手く入ったとは思います。
すんごく入りたかったので必死に業界事情や関連ニュースを読み漁り、面接前に頭に叩き込みましたが、細かく聞かれることなくトントン拍子に進んだので、結果から考えればそんなに勉強しなくても良かったです。とはいえ、入った後で当然その内容は使えるので、無駄ではなかったのですが。
最後はマッチング、というのは転職中の状態では「そんなこと言われても」と思って心苦しいのですが、振り返ってみればその通りでした。でも、個人的には励ます目的でもあまり使いたくはないなぁと思います。転職中の不安な状況ではどちらかというと具体的な話の方が欲しいので……。

転職エージェントについて:大手のリクナビを使いました。転職エージェントはどれを使うか、はたまた人づてか……は当人の状況に依るのでなんとも言えません。大手エージェントの良さはとにかく情報量が多いことだと思います。どこに行ったが良いか決めあぐねている、とか、いっそ別業界で、という場合は使うのが良いかもしれません。ただし、担当者は大体よくわかっていなくて勢いタイプなので慣れることと最後は自分でなんとかするという意識を持つ必要があります。逆に同業種でならある程度絞ったエージェントの方が対応が丁寧でフォローが利きやすいかもしれません。人づてはあるならそれに越したことはないと思います。

入った当初の感想:オフィスは当然ながら20人零細と本社数百人レベルは雲泥の差があるので驚く。そして若い人の多さとその優秀さに驚く。中途にもちゃんとした研修があることに感謝感激する。中小零細はなんだかんだで訳ありな人材が来る率が高いし、選ぶ側も訳ありだったりするので、いきなり信頼できる人達と働ける幸せを噛み締めた。

給料:転職後周りから散々、めちゃくちゃ上がったでしょ!と言われるが、実際にはそんなことはない。業界的にというのもあるが、額面でいえば同じか少し下がる。ただし、手当は特にこの会社がというのもあるが中小零細ではまず考えられないものが揃ってるし、ちゃんと残業代もボーナスも出るのでトータルで考えると安定性と手取りは改善されて生活はかなり楽になった。業界にもよりけりだが、そもそも昔ながらの日系や日本に根付いた外資では給料の大きな改善は望めないのだと思う。額面のみ見て稼げるところに行くというのは何らかの犠牲か特殊な事情があるのだと思うので、慎重になった方がいいと個人的には考えます。

労働時間:これはちゃんと管理されている。中途なのである程度覚悟していた通り、会社の中でも特に激務の部署に配属となったものの、中小零細時代の適当な時間管理と裁量制といいつつ上のフィーリングで決めようとする労働状況にうんざりしていたので、精神状態としてはかなり良い。そして、激務と言っても中小の激務時期に比べると時間も内容も遥かに良い。今はこれを見てダラダラと仕事をしていた時がなきにしもあらずだった過去の自分への戒めにしている。

業務:当然だが、組織がより複雑なので何をするにも承認関係の処理はすごく増えた。中小零細にある許可一つで社長代理印をポンと押せるなんてことは絶対にない。細かい社内ルールを覚えなければいけないので、これは転職先に迷惑をかけている最大の部分だと思う。でも、事前に聞いて恐れていたほど非効率で時間を取られている業務だとも思えない。承認される=その業務を行う責任を分散できる人達がいるってのはとってもありがたいことだなぁとしみじみと感じている。中小零細はよく言えば多くのことが個人で完結できるので、自分がやっている!感は強いのだけど、組織的な責任問題に非常に弱い……というか何かとんでもないことが起こってもまともに組織として責任が取れないことすらある……(そういう重要な問題自体、影響範囲があまり大きくない中小ではめったに起きないから高を括ってるのもある)。逆に大きな組織だと一部歯車になって全体が見えないもどかしさはようやく実感と理解ができた。でも、がんばって自発的に情報を集めれば組織内の人の関りが分からないわけではないし、中小でも何も考えないでただ目の前のことを処理している人はごまんといるので、結局のところ、会社と業務の理解は「本人の意識と努力の問題」という気がしなくもない。中小から大手のほうが理解が早いかもしれませんが、逆は未経験なのであくまで予想として。

社員:公共性の高い仕事という面からくるのもあると思うが、やはり社員の意識は概ね高い。名前がそこそこ知られているというのも意識の高さを手伝っているとは思うけど、かといって持ち上げられまくるほどでもなく、上から下までえばり過ぎない感じで自分としてはちょうどいい塩梅の状況にあると思う。会社の特性でもあるかもしれないけど、ちゃんと考えて説明でき、コミュ力の高い人は多い、というかそれができないと仕事もできない感じ。更に若干仕事ぶりからフィルターがかかってしまっているかもしれないが、総じて見た目も良く感じる。総合職の中でも本社配属だから選抜されているのだろうけど、そういう優秀なできた人達の中に自分がポンと入っていいのかとちょっと申し訳ない気持ちにもなる。

設備:どうしても社内調整が多く、顧客との会議も頻繁に発生するので会議室と他社会議室と繋ぐための通信関係はすごく充実していると思った。これは小さなオフィスしか使えない中小零細からすると羨ましい限り。逆に個別に支給されるパソコン・携帯や業務用のシステムに関しては「期待するほど大したことない」というのが正直な感想。承認と関連するが、中小零細は上が頷けば素敵な設備が突然ポンと会社に現れたりする一方、組織が複雑だとどうしても面倒になるのだろう。大手にいると個人が冷遇されていると感じる要因の一つかもしれないが、実際問題、組織の図体がでかい分より力が必要なのは仕方がないと思う。逆に中小零細にありがちな「変な営業に上が騙されてよくわからない装備が突然現れる」ことによる脱力感もないと思うので、これが今の周りに伝わらないのはなんとももどかしい。

組織改革:組織改編にとる対応に追われたりするのは組織が大きいほうがより大変だとは思う。逆に周りが文句を言うほどにどうしようもない理由で組織改編を行っているわけでもなく、事前に様々な人達がじっくり検討したうえで行っているので安心できるともいえる。中小零細は許可さえうまく取り付ければ改革を断行するのは容易い。逆に「どうしようもない理由で改革断行」「変えたものの実際何も変わってない」「変えたらむしろ致命的な状況に陥る」方のリスクが良くなるよりも遥かに大きい(そもそも訳あり人材が入りやすい環境だということを忘れてはいけない)ので、改革できることへの幻想をあまり過度に抱いてはいけないというのが強く強く思う事だ。

総合的に:色々と違うところはあるものの、「組織で働く」という根本は変わらず、自分がかつて悩んでいたことも実は「どうしようもないことだった」と気が付いたものも多々あった。どうにも非効率に見える業務内容、上司と部下のやり取り、思ったように良くならないもどかしさ、辺りはどこへ行ってもついて回るし、同僚の口から出る愚痴と自分がかつてそれに頷いていたことは「あんまり意味がなかったもかもしれない」というのに気づけたことが最大の転職してわかった利点であったように思う。どこへ行ってもダメなところは必ず存在するが、それ以上に良いところと現実から見た判断が適切にでき、自分がいかに良い精神状態を保って業務に励めるかが重要なのじゃないかと今は思っている。幸いにも私はこの転職は現時点で最高クラスに良かったと思ってるし、同じような体験を多くの人にしてもらいたいと思っている。じゃあ多くの人に適用できるし、強くおすすめできるかというと微妙で、違う業界、違う方向、違う内容での転職の話でも比較していくと見えてくることがあるかもしれないぐらいに考えてもらいたいと思います。まだまだ人材の流動性が低いといわれる日本市場が活性化する手段の一つとしてもちょっとした参考になれば幸いです。







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  1. 2019/01/19(土) 20:47:34|
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国籍のない企業と国のお話

明けましておめでとうございます。
まだ続けるのかという人も出そうなぐらい過疎状態、読む人も限られているブログですが、本年もよろしくお願いいたします。
2018年は怒涛のような出来事の連続で、正直かなり疲れた状態で2019年を開始することになったのですが、
色々なことにまだまだ挑戦できそうなので、がんばっていきたいと思います。

さて、さっそく本年一発目の話題ですが、いきなり今まで書かなかったビジネスのお話です。
といっても何をどうすれば儲かるという話でもなく、割と歴史的経緯とか根本的なことを踏まえた上での全体のお話になります。

タイトルのとおり、企業について話すのですが、知っての通り企業というのは法人格という人格を持っていることになっています。
これはまぁ法的な処理場そうしておかなければ、という身も蓋もない話で終わらせてしまっても良いのですが、
あえて、何が普通の人と違うのか、という点において「国籍がない」ということに注目したいと思っています。

よく「日本企業が~」という話は上がりますが、厳密に日本企業というのはどこにあるのか?と考えると、「よっぽどがっつり日本政府機関なりとべったりか国策企業のようなものでなければ、そんなものは存在しないのではないか」というのが現実として思われるところです。
資本を日本人が提供し、日本人が経営し、従業員のほとんどが日本人という会社も多く存在しており、それこそ日本の企業っぽいのですが、これらも今後もずっとその形でいかなければならないというルールもどこにもなく、いつでも外国との関係に変わりえる存在です。
日本の企業が外国で活躍している、という話に心躍ることはありますが、実際に進出した先では「その国の企業」として生きることになり、極力日本であることを強調し過ぎず、進出した国の人々のためになるように働くことが必要になってきます。

これは企業で働いていても、自分の業務だけに従事している狭い範囲でいた際にはあまり見えてこなかった(一応なんとなく薄々そんな気はしていた)ことなのですが、昨年末から仕事を変えたことで広く流れを見れるポジションにつけ、視野が広がり、がっつりと認識しなければいけないと思う事の一つとなりました。

それこそオリンピックに向けた各分野での「オールジャパン体制」というのは国や都が音頭を取って各企業の協力のもとにプロジェクトを進めているわけですが、実際のところ、企業そのものとしてはよっぽど国の支配をうけない存在なら、その体制に協力している形を取りつつも、海外勢とのビジネスは関連する分野でもしっかり進めていたりしますし、その行動が必ずしもオールジャパンとしてどうか?と言われると微妙だと思われることも多々あるのですが、実際、そういう行動をとる自由まで制限される筋合いはどこにもありません。

そして、なにより、国内限定ビジネスよりも海外も含めた大きなプロジェクトとして動かす方が、遥かにビジネスとして旨味が大きい。そうすると、一国ばかりを考えてビジネスを限定していると大きいと思っている国からですら大した利益を得られない一方で破綻する恐れすらある。
「一国優先ビジネスを展開するメリットが企業としてどこまであるのか?」と考えると、大企業に限らず中小企業にも今後広がっていく認識だと思っています。
そうなると、今、世界で行われているナショナリズム的政策にどこまで意味があるのか?実際問題、すでに網の目のように各国の企業が交錯している中で、この企業はうち、この企業は外と切り分けることはかなり困難となっています。
その企業の中に複数の国籍者があつまり、複数の国籍から出資を受けている、のは当然として、そうでない企業でも1つの製品やサービスを提供するために複数の国にまたがったビジネスを行っていることはいくらでもあります。
なので、結果として「自国の企業を支援しているようで、他国企業の旨味になっている」「自国企業保護のために他国企業を排斥したら自国ビジネスが死にそうになる」という現象が確認できるわけです。
そもそも、ここで書いている「自国企業/他国企業」というのも変な話で、あくまでその国発祥か、その国の人が多く働いているといった一面的な基準で決めた内容であり、本当にそうなのかといった根拠はかなり希薄なものだと思われます。
そうすると、「明らかに自国政府機関にとって利益になる」を基準とした企業支援や活動を行わざるを得なくなるのですが、あからさまにこれをやってしまうとさすがに……という意識がかつてはあったのですが、そうでない国、そんな余裕がない国も出てきている、というのが去年の末ぐらいにすったもんだをやっている内容なのだと個人的には認識しています。

国家としては企業の利益とそこから得られる税収は無視できないので、ビジネスを国際的に拡大していく部分に関しては相当容認せざるを得ません。
ただし、それを広めるということは同時に企業のかつてはなんとなく自国主義的に動いていたように見えた企業がより国を離れたビジネスを展開しやすくなる、ということと同義であり、税収の増加があるようで、企業と国の格差(言うまでもなくすでに企業の方が上になりつつある)が開いていくことになる要因となっているようです。

単純な給与にしても、官僚のトップたる事務次官が数千万レベルのところ、それなりの企業の役員でそれぐらい貰うのは普通で中には数億貰う人すらいるわけですし、それ以外に追加的に貰える資産も考えていくとあまりにも差が大きく、国の最高学府たるところを卒業した学生達が目指さなくなるのも仕方がないと思えてきます。
なので、官僚はじめの給料は国という大きな仕事を背負っているのに給料が安すぎるので上げるべき、という話も聞きますが、実際問題として、国家の中に限定されてしまう国の仕事は複数国家に跨って動かす企業に比べると意外と「大きな仕事というほどに大きくもない」というのも実態であり、単純な価値としてどこまで考えるかはこれまでの感覚からは少し切り替える必要があるのではないかとすら思えてきます。

国家と企業を比べるのはあまりよろしくない、という感覚もあるとは思いますが、国も税収を上げて運営を行う必要がある以上、企業同様にお金とは切っても切り離せない存在です。大きく違うのは収入の得方と、国は投票とそれによって選ばれた政治家が動かしますので、国際的な利益を得る手段が極端に限られるといいますか、ほぼ企業依存となっているのが格差が広がってしまっている原因なのだと思います。

企業も国も究極的にはどちらも関係する人を幸せにするために存在する組織と言えます。今まではある程度の棲み分けを行っていた存在が同じ土俵に立たされ比較されるようになってきたこの時代。私たちは単純な投票や政治活動といった枠組みにとらわれない形で、より多様な社会貢献を考えていく必要が出てきたのかもしれません。



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  1. 2019/01/05(土) 12:56:38|
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翻訳・通訳が見限られた日

 大分寒くなってきましたが、相変わらず元気に過ごせています。
 少し前に仕事を変えまして、10年弱働いた翻訳・通訳業界から全く別の業界に入りました。
 今は新しく覚えることが大量にあるので、なかなかこれまでの活動が少しやりにくくはなるのですが、コンプライアンスと労働管理はそれなりにちゃんとしているので、多少スローペースにはなるかもしれませんが、継続していけそうだとは思っています。

 今回のタイトルはそんな転職話にかこつけた話でもないですが、翻訳・通訳というのは世間体はすごくよい職業ではあるのですが、色々ともう昔のような地位はないんじゃないか、ということを書いていきたいと思います。

 AIの台頭で奪われるのではないか、特に自動翻訳や自動通訳の機械は性能は十分とは言えないものの大分身近になってきましたし、将来なくなる仕事で予想されるときにかなり高頻度で出てくるものです。
 個人的に調べたり経験した範囲でいえば、少なくともなくなりはしない、と断言していいと思っています。というのも、当の翻訳・通訳会社ですら、機械翻訳・通訳と人的翻訳・通訳の部門を完全に分けており、顧客層も異なることが明確になっているというのがあります。人的から機械へのリプレースはないわけではないのですが、特にしっかり人的翻訳・通訳が必要だった部分まで大幅に機械が食い込めるわけでもない、逆に言えばリプレースされた部分は人的翻訳・通訳をやるにしてもそれほど「人の力」であることが重要視されていなかった部分でしかない、ということだと思っています。また、機械翻訳・通訳で出てきた内容を人がサポートするというシステムの構築によって大胆な改革になるともいわれていましたが、これも特に進んでいる様子はなく、そういう翻訳・通訳はむしろより機械寄りの機械サポート的立ち位置なのであって、むかしからの本当に人の人たる力が必要な翻訳・通訳はこれからも残っていくとは思います。
 ただし、ここからは強調していきたいのですが、人の力による翻訳・通訳の需要というのはある段階で頭打ちになり、今後の大幅な単価上昇や仕事の内容が楽になるということはない、というのが私だけでなく、概ね業界全体の見方であると思っています。

 その原因として、「人が他言語を覚えること」に関しても技術の進歩による影響は無視できません。"技術"というと機械をすぐに思い浮かべがちですが、ここでいうのはどちらかというと「教育技術」の方で情報通信と他社とのコミュニケーションがインターネット接続で容易になった現在、外国人との交流はかなり容易になりました。また、これまで海外進出に積極的だった、いわゆるアウトバウンドだった日本はすでにインバウンドに視点を移して外国人をいかに取り込むかに注力し、外国人を見ることは都市部ではもはや当たり前となってきました。情報を得ようと思えばいくらでも手に入るし、交流しようと思えば気軽に交流できる環境が整ってきたのです。特に言語は専門知識と言われながら、高度な専門書籍で重要な内容を把握するよりも、基本の積み重ねと毎日の反復練習が特に重要な代物で、厳密には「専門的でもなんでもない」かもしれないものです。なので、早い人は数か月から一年もすればそこそこに会話可能な力をつけてしまい、後は仕事に関する専門知識を盛り込めば(これはすでにその職に就いている人であればそれほど困難ではない)よいということになります。ですから、昔では一つ他言語を覚えれば尊敬されたものが、今は英語はそれなりにできるのは普通になってきていますし、大体のビジネスではそれなりの英語で事足りることが分かってきています。人的翻訳・通訳に関しても希少性が大分落ちてきているということです。そのため、もはや企業は翻訳・通訳に大きなお金を出すことに価値を見出していません。

 もっとも通訳に関しては「同時通訳」という高度な技能がありますので、これは単純な言語能力とは別の訓練と才能がものをいいます。ただし、同時通訳が要求される場面というのは必ずしも多くないので、需要面で本当に安定しているかは考えるべきでしょう。でも、それ以外の逐次や同行通訳に関してはよほどの専門性とかけあわせないと仕事そのものに結びつけることすら難しくなるのではないか、というのが私の思うところです。なにより、同時でもそれ以外でもよりクリティカルな部分として「そもそも時間と場所を拘束してまで、人と人が出会ったり、大きな会議やセミナーをやる価値がどこまであるのか」というのはこれからの国際組織や企業の中でより議論となる部分だと思われます。特に通訳は場所と時間に拘束されることを前提に大きな収入を得ていた分野ですので、この前提が今後変わってくるとなると、また違った方向性を模索しなくてはいけなくなると考えます。インターネットをはじめとした情報通信網の発達は場所と時間の拘束から人を解き放つことができるわけですが、それに依存いていた「人と人が出会わなければできない」仕事は徐々に通信網の整備によって自らの価値を考え直さなければならなくなるといってもよいでしょう。

 さて、元々、翻訳も通訳も企業に行って仕事を行う場合、派遣として働く仕事の筆頭として挙がっていました。今でこそ下位のイメージが強い派遣ですが、本来は翻訳や通訳のような高度プロフェッショナル技能者に限定したもので、このような技能者をすぐに集めるのが容易ではないため、仲介企業の存在が必要だった、というのがかつての事情でした。派遣に関する法律が改正された直後、派遣の地位を高く見せるキャンペーンは行われましたが、すぐに需要と供給の原理で給与が安いことや使い捨て出来ることが見えてきたので、それほど効果はなかったと思います。そもそも、派遣だから地位が高いのではなく、その派遣される人達が「高度プロフェッショナル技能」だったからこそ、地位があり品格があったのだと思います。時間に厳しく、残業などもってのほか、仕事内容が大きく元からいる社員と異なるのですから合わせる必要などもなく、仕事がなくなった場合の解雇は容易ですが、すぐに次の仕事を派遣元の会社から斡旋されますので特に問題はありません。ですが、このような「真の派遣」たる翻訳・通訳業であっても、私の知る範囲ですでに10年前からそれほど高給取りではなかったというのが実態だったと思います(10年経った今、さらに仕事数も給料も減りましたが)。つい派遣に関する法律が変わって、派遣の地位が下がったからその煽りを受けたような解釈をしたくなりますが、実際のところ、そもそも翻訳・通訳を派遣するということに企業が価値を感じなくなってきたというのが大きいと思っています。先も書いた通り、それなりの英語力と専門知識を持てばビジネスに大きな支障はないのに、なぜそこにお金をつぎ込まなければいけないのか、と考えるわけで、それなら専門知識を覚えるほうに投資するほうがよっぽど組織のためになります。昔のように語学を習得するのが困難で希少性があり、なんでも人と人が合わないとどうしようもなかったり、人を集めた会議やセミナーを開催することに価値がいつまでもあるわけではないのです。

 こういった時代の流れを見ていくと、私としてはすでに「語学のプロ」と言われた人たちは相変わらず残っているそれなりに高い世間体とは別に「見限られた」と表現しても良いのではないかと思っています。昔のような地位を持つべきだ、もっと給与を、というのも思わなくはなかったのですが、さすがに需要の根本自体が変わっている中でそれは「伝統工芸品をみんなに使ってもらうために補助金を出す」ぐらいの愚行ではないかと思わざるを得ません。また、「なぜそれが専門的なのか、プロなのか」という部分に関してより厳しい目を持たなくてはいけないと思っていますし、少なくとも企業のある程度上の人々はそういうことをすでに考えています。だから、なんとなく残っている文化・世間体・地位の感覚をそのままに翻訳・通訳を選んでしまうと、今後とても辛いことになるのではないかと思わざるを得ないところがあります。需要が減っても全く必要なくなるわけではなく、上手な関係を顧客と築けた場合、それこそ先も書いた伝統工芸の職人のごとく残る人々はいるでしょうし、それなりの収入を得ていくと思います。ですが、本当に必要な仕事かと言われると少なくとも伝統工芸の職人は世間体も地位もあり安定したそこそこの収入(ただしすごく多くはない)もありますが、別になくなっても社会全体への影響は限定的です。自分がそういう分野で働くのだという意志があるのであれば、満足に働けるとは思いますが、そうではないのであれば、もっと違う分野に進むほうが、より世のため人のためであり、全うに働けるのではないかと私は考えます。



テーマ:語学の勉強 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2018/11/17(土) 10:41:08|
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