The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

ファンタジーの典型は本当に「魔王と勇者」なのか?

また少し時間が空いてしまいましたが、Entyでも記載の通りゲーム制作は少しづつ進んでおり、心配事もないわけではないですが、ここまでくれば開発中止(俗にいうエターなる)にはならなくなるぐらいには制作した量はあるのでご心配なく。

さて、随分と前になるのですが私の作ったゲームのレビューに「勇者が魔王を倒すわけでもなく…」というところがユニークだと書かれた方がおり、ちょっとこのファンタジーの典型と言われる「勇者と魔王」について書いてみたいと思います。

この「勇者と魔王」、ファンタジー/RPGの典型的な構成だとして、これをネタにした作品も実に多いです。魔王を倒す使命を帯びた勇者が魔物の王たる魔王を倒しに行く。こういった話がいわゆる大前提的な使われ方をすることに異論がある人はそういないとは思います。
でも、ちょっと考えてみてください。王道といわれる「勇者と魔王」をやったファンタジー/RPG作品ってどれだけあるでしょう?
実は古今東西あんまりありません。そんなはずはない、と思う人も自分の好きなファンタジー/RPGの作品でどれだけ「勇者と魔王」があったか思い起こしてみてください。多分、あんまりないと思います。
一番、日本のファンタジー/RPG界隈で影響の大きいドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーにしても魔王を扱っている作品は限られます。強いて言うならばいわゆる典型なのは「ドラゴンクエストIII」しかないです。

そもそも、ファンタジーのストーリーはその黎明期から非常に複雑でしたので、いわゆる最後の敵、ラスボス的なものがない場合すらありますし、その最後の敵がいるにしても出自も様々です。主人公にしても、なんらかの超自然的啓示をうけたり、生まれから特別だったりすることはあっても、最初から勇者であることの方が珍しい。
一応、魔王ではなく「最後の敵:ラスボス」的要素をファンタジーの中に見出すことはありました。ですが、それが日本で魔王という固定化された概念になるのは割と最近の話だということです。魔王以上に勇者という概念は新しく、考えようによっては未だに確立していないんじゃないかと思える部分もあったりします。

では、別にファンタジー/RPGの典型でもなんでもない勇者と魔王がテンプレ化した理由はなんなのか?…それは前述のドラクエIIIの大ヒットもあるのでしょうが、革新的なアイデアであったわけでもなく、その時代といいますかタイミング的に"ネタにしやすかった"のが大きいのだと思います。元々割と複雑だったファンタジー/RPGの世界を切り詰めてシンプルにし、勧善懲悪的部分を突き詰めて頭に残りやすい用語を使用したところが多くの人に受け入れやすく、そこからバリエーションも作りやすいということで、このジャンルを広める要因となったのでしょう。

では、そんな勧善懲悪のテンプレ的なものが勇者と魔王以前はなかったのか?というとそれもちょっと違います。元々あったのは「騎士と竜」でした。これはファンタジーと並行もするのですが、古くは「騎士物語」という物語のジャンルがあり、神話世界の存在である竜と勇ましく戦う騎士、そして美しいお姫様というテンプレートが確立していました。
この「騎士と竜」テンプレは過去には「勇者と魔王」よりもポピュラーでしたので、日本で発売された初期のRPGのビジュアルとして鎧を着た騎士と竜を描くというのは一般に広めるための重要な要素でした。
ですが、ファンタジーの要素ではある物の騎士と竜は必須要素ではないので、ファンタジーが広まるにつれてその要素は特に押されることはなくなっていくのです。今更言っても遅いのですが、「竜退治はもう飽きた」と言っている頃にはとっくに騎士と竜ではなくなっている上、それ以外の要素を押し出すというのは珍しくもなんともなかったのです。*戦車を使って戦うRPGは珍しかったですけどね。

もちろん、「騎士と竜」も本当に騎士物語全体のテンプレだったかというとまたちょっと違います。これも調べてみるとなぜ騎士物語の中からその要素が抜き出されて語られるようになったんかと分かってきて面白いでしょう。
とにかく、ここで重要なのは、いわゆる典型・テンプレ的だと思っている物は全体をちょっと見てみると実はそうでもない、ということです。典型・テンプレ、そして果てには常識的なものだと多くの人が思い始めるのはそれが多く広くあることよりも、まず何かインパクトのあること、そして、ちょっと調子よく語るのに都合がよい事が重要だったりするのでしょう。

よく言われる「常識を疑う」のではなく、むしろ「常識が出来上がっていく過程を考える」研究というのを行う流れが今後できたら面白いだろうな、と思いつつ、今回は筆を置くことにいたします。




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テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017/09/03(日) 11:41:23|
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女性の社会進出に関して歴史をかなり大まかに振り返る

ある程度普段から様々な情報に触れている人は、日本では女性の社会進出が遅れており、高齢化による労働力不足を補うためにもより大規模な女性の社会進出を進めるべきだという話をどこかで聞いたことがあるのではないかと思います。
ですが、なぜ日本は女性の社会進出が遅れていると考えられているのか?に関して、案外それほどクリアーに書かれることはありません。実は読めば割と色んなところに書いてあるのですが、書き手の得意分野の違い、思想・文化、それ以外に周りへの配慮といったものが影響して、「なんとなくは言いたいことはわかる」レベルでお茶を濁すことが多いのではないかと感じます。

ここでは私もそういった点に関して必ずしも全ての人にとってクリアーにわかるほど上手く書けるとは思わないのですが、一つの大きな歴史的観点の流れということで書いてみたいと思います。ああ、ようするにこういうことかみたいに思うところが一つでもあれば幸いです。

1、 男女の分業が昔からだという嘘
まず歴史的観点から見ると、一般的に常識と話されている「男女による働き方の分担が昔はきっちり分かれていた」という話がほぼほぼ嘘だと言っていいというところから始まります。大体は「男は狩りをやって…」の話がでるのですが、以前、このブログでもWoman as Hunterと題して「原始時代には普通に女性も狩りやってた可能性が高い」ということを書いたことがあり、これは簡単にまとめて言えば「子供を産んで育てる役割があろうがなかろうが、基礎体力があろうがなかろうが、その日の食料が取れなければ飢えて死ぬわけで、安定した食料供給が見込めないなら動ける人間はできる限り全員で狩りをやる以外にない」というのが考えられるということです。そして、残っている当時の人骨から男女ともに全般かなり鍛え上げられた体をしていたことがわかっています(細かいことを言うとまた色々ありますが……)。少なくとも女性が家庭というものを意識するのは大体人類が農業を始めて以降だと考えられるのですが、それでも別に歴史を見なくても今日の農家を知る人ならわかることではありますが、農家の女性は普通に毎日働くのが当たり前です。体力の差があって子供ができたりして労働量が変わるかもしれませんが、働ける範囲を限定する意味はない。働ける人が働く、やれることはやってお互い助け合っていく、というだけの話なのです。

2、 なぜ社会は男女を分けるようになったのか?
単純に少数で働くレベルであればわざわざ男女の労働を限定する必然性はないのですが、これが大規模集団化すると話が変わってきます。狩猟採集をやっている時点では常に獲物を求めて移動するなどの必要があるため一部の限定した状況を除き大規模集団化することが難しかったので男女分業はそこまで考えなくてよかったのですが、農業が広まり集団が社会化・組織化していくと様相が一変します。ものすごくかいつまんで言ってしまうと「大量の男性の中に女性を入れるのが危険」という事態が発生するようになるわけです。具体的にどういう危険かはある程度大人なら想像がつく範囲だと思います。この辺りの事情を最大限ぼかすため、人によっては女性の社会進出の話はなかなか曖昧な表現に終始しなければなかったりします。数人レベルならば不要だった「犯罪の管理」が必要になり、そしてどんなに管理しても人が大量にいる以上全てを防ぐことは難しい、だったらいっそ「ばっさりわけてしまおう」、そして法律や宗教思想などを駆使して縛ろうというのが根本の発想にあります。これはこれで乱暴ではありますが、社会ができてきた頃を考えると致し方ない面もあるわけで全てを否定できるものではありませんし、正確には今だって全て解決はできていません。なんにしろ、社会や宗教が男女の関係に厳しいにはそれなりの理由があることを踏まえ、続く時代を見ていく必要があるのです。

3、女性は働けない。だったら……。
労働を男性専用にし、女性は結婚させあくまで家庭にいて特定の状況を除いて労働現場に入れなくすることで一応の治安を手に入れることはできますが、これはこれで新たな問題を引き起こします。最も大きいのは労働の担い手である男性がいなくなってしまった場合。女性は労働によって生活を支えることが社会的に困難であるので、他の男性に頼るしかありません。それでも特に戦争なんてやった日には大量の未亡人が出てしまい、頼る先もなくなってしまいます。イスラム世界で男性が複数女性と結婚できるのが許されているのは、それがある程度妥当な手段であるからに過ぎません。もし、結婚という手段で頼ることができない場合は、結婚という責任は取らない範囲で男性に頼るか(明らかにアレです)、違法行為で生活費を稼ぐしかありません。基本的に不倫禁止で1人としか結婚してはいけない宗教観念を持つ欧州各国では、この(当時の基準では)違法行為を行う女性が戦争の結果激増するという事態が多発します。例えば男装して男性と同じ現場で働く女性という話が伝わっています。もし、これが公にばれると罰されるのは女性の方だったといいますから、欧州キリスト国家が複数婚姻を認めるイスラムに比して優位性云々を語るのは、なんとも難しいところです。こんな危険を冒すぐらいならと女性や子供達で盗賊になったり、大規模化して盗賊団を結成してしまう人達まで現れます。本来、治安の安定を狙った男女の分業が逆に犯罪を増やすことになる本末転倒な状況が出てきたゆえに”変わらなければいけない”と考える人たちも多く現れます。逆にある程度複数婚姻によって安定が維持できたイスラムはそのまま続いてしまったという面もあるのですが、それはまた別途機会があれば書いていきます。

3、また男たちが戦争を始めた。しかも今度のは桁が違う……
女性未亡人の問題は深刻なものだと受け止められ、改革する話は出るものの大きくは変わりません。産業革命を機に女性労働者は大幅に増加するものの、これも制限する法律が出たりして流れはできる一方で抑止する方向にも行くという両面性を持っていました。その後、この女性の社会進出の流れをより促したと考えるのは2度の世界大戦だと考えられます。この第一次・第二次の両世界大戦がそれまでの戦争と違うのは、国家の生産力を全て動員してぶつかり合う総力戦だったことです。とにかく、大量の兵士が戦場で次々に死んでいき、兵士が使う兵器は次々に使い潰され、衣食住という生活に関わるものも毎日膨大に消費されていく。こうなってくるともはや女性を限定的な場所でだけ労働させなければいけないなどと四の五のも言っていられなくなます。もちろん、国の若い男性のほとんどが戦場に行ってしまったので、女性を工場などに大規模導入してもそんなに上記の問題にならなかった、という側面もありますが。そして、戦争が終わっても男性が大量にいなくなってしまったので、女性をある程度雇用しないと国が立ち行かない。どうしても入れにくいところには外国人を雇用して補填しよう。こうして今日の欧州の姿が形作られることになります。ある意味なし崩し的ではありますが、現代の女性の社会進出を考える時に世界大戦はどうしても無視できない要素なのです。

4、 日本とアメリカ、ちょっと違う事情
さて、ここまで書いてきた話は主に欧州方面の話です。一方でアメリカ、そして我が国日本は概ねの流れとしては共通する面はあるものの違う部分もあります。まず、近代以前の日本では婚姻でも労働でも男女における分業は世界的に見ても特に庶民では割と緩く、むしろ近代化することで欧州的な男女分業が強まったところがあります。そして、世界大戦は2次にはご存知のようにかなりの被害を受けたものの1次には極々限定的にしか参加していません。アメリカは近代に欧州からの移民によってできた国ですから欧州的なマインド部分は共通するものの、世界大戦には1次は途中参加、2次でも参加しますが他の国のように本国の多くが深刻な被害を受けたわけではありません。これにより日米は欧州国家よりも女性の社会進出に関しては少し違った色彩を帯びることになります。端的に言えば欧州国家ほどに戦後すぐには女性の社会進出が進まなかった。男性はかなりの数亡くなっていたので進出するにはしたのですが程度の違いが出てしまいます。その結果、働いた経験がありながら戦後また労働現場から外される、という事態になり、戦後の好景気で仕事が増える中でも働きが制限されるというかなり矛盾した状況に困惑することになります。一般的にはアメリカはなんとなくずっと女性の社会進出が進んでいた印象があり、それはある側面では正しい物の、実際は戦後突然家庭的な女性論が台頭し、その後にそれを打ち破ろうとする動きを経たという複雑な事情があることを忘れてはいけなかったりします。


5、 日米で女性進出が違う理由
戦後、一時的に女性の社会進出が後退したものの、再び女性の社会進出が活発となったアメリカ。対して日本は確かに戦後の女性の社会進出を促す運動自体はあり小さな改善が積み重ねられたものの、アメリカほどに強烈に進まなかったことは割と広く認識されているかと思います。欧州ほど進まないのは当然にしても、アメリカと比して進まないのはいくつか理由が考えられます。まず、そもそも戦時中もアメリカほど大規模に女性を導入していない。実は工場で働く女性は日本では未婚女性、多くは若い女学生が中心だったのですが、アメリカでは年齢や結婚しているかに関わらず工場で働いていました。また、ほぼ強制だった日本と違い、アメリカは自由主義の国でしたので大規模な宣伝により自主的に工場で働こうとするように促した。これが戦後の女性の労働意識に大きな差が出たのではないかと考えられます。まあ実際わざわざ宣伝なんかしなくても開戦直後にハワイを派手に爆撃された話が駆け巡り、危機感と不安を煽られる中夫や恋人といった近い男性がみんな戦場に行ってしまい、更に工場に行けばちゃんと賃金が出てそのお金で自由に買い物ができたとあれば、そりゃみんな行くだろうし意識も高かろうということもあるんですが。日本は反対にどうしても結婚して家を守っている女性に対しては、あの大日本帝国でも、しかも国中爆撃されて切迫しまくっているにも関わらず、ほとんど動員できなかった。前例ができるとその後も「未婚のうちは働くが、結婚したら家庭に入るものだ」という認識が固まってしまいます。この意識自体は特に古くもなければ、実際は戦時中から女性はみんな働いても全く構わなかった(むしろ流れとしては働くほうにいくだろう)にも関わらず。


終わりに
もちろん、既に日本の女性の労働状況というのは変わりつつあります。結婚した後も働く人は多くなってきました。しかし、そもそも若い人が多くないこともあって、女性の社会進出に関する全体の意識は上記のような「結婚したら家庭に」という意識が強く残っています。そして、それがどういう経緯でそうなっていったのか、なぜ欧米と違うのか、という点を単純な意識論だけに留まらない大きな流れとして捉え、今後の改善なりに結びつけていければと思っています。





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  1. 2017/02/28(火) 21:18:04|
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家庭においてご注意ありたき事

10月になって秋めいてきて欲しいところですが、まだまだ暑いですね。
今回はひょんなことから大正13年に配布された小学校の通信簿を見る機会があったのでその一部を紹介いたします。
大正13年は西暦に換算しますと1924年。第一次大戦と第二次大戦の間となる戦間期になり、まだ世界恐慌は起こっていないものの、世界は不穏な情勢にあり、その後の混乱の予兆となるものが起き始めている時期でもあります。
そんな時期、日本の小学生に向けてどのような教育が行われていたのか、その一端を垣間見ることができる1次資料として扱えるでしょう。
まず、1頁目には当然のように書かれている「明治天皇と照憲皇太后がどのようなお人だったのか」というもの。これを忘れては日本国民を名乗れませんね。
続いてあるのが江戸時代の高名な陽明学者中江藤樹先生のお言葉。「家をおこすも子孫なり、家をやぶるも子孫なり」というもの。この言葉はたまに聞きますが、ここまで取り上げられていたとは知りませなんだ。
そして、出てきました教育勅語です。正式には教育ニ関スル勅語というらしいのですが、ここでは単に”勅語”とだけ書かれています。これと戊申詔書を合わせて、珍思うに…から始まる日本人としてのありかたを示した道徳的文章を毎回授業の前には一斉に読み上げるのが日課だったとのこと。そのあとには御沙汰書が続いており、ありていに言えば「天皇陛下が仰っていらっしゃるのだから、真面目にがんばれ」ということになるのだと思います。よく言われる教育勅語の12の徳目についてですが、記載はありませんでした。手に入れたのは通信簿ですからあくまで扉的な扱いで、実際に読むものは教科書等に記載してあったのでしょう。なんにしろ、この辺りに関しては調べれば割と出てくるので、特にここで解説する必要はないでしょうね。

さて、本題はこの後に続き、この記事の題名にもなっている「家庭においてご注意ありたき事」です。実はこの前に小学校の本旨などが書かれているのですが、割とさらっと数行で終わっています。それに対して家庭への注意は17項目2ページにわたって続いており、いかに学校が家庭に熱を入れて伝えたいのかがわかるというもの。
それでは、1つ1つ要らないかもしれませんが私の感想を交えて見ていきましょう。
なお、原文の旧かな旧漢字は現代のものに置き換えていますので、あしからず。

1、 この帳簿をうけとられたときは良く見たうえで相乗欄に印を捺してください。
*日本の判子文化は強いですね。なお、成績欄には1つ1つの項目に捺印欄があるので、かなり念入りです。確認する方も大変だ……。

2、 毎日、1年2年3年は30分、4年5年6年は一時間および二時間復習と予習をさせて、その習慣をつけてください、又にあい相乗に1定の仕事をあてがって下さい。
*最近は知らないのと私のころもうろ覚えなのですが、予習復習は概ね1時間以上といわれていたような気がします。高学年で中学受験があれば2時間では足りない気もするので、若干緩い感もします。それよりも重要なのは”仕事をさせろ”と言っていることです。当時は小学生が仕事をするのは当たり前だったのです。中高校生がアルバイト禁止されている場合じゃないですね。

3、 児童の欠席・遅刻・早引きなどは学業の進歩によほど害がありますから病気と忌引きとの外はなるだけさせぬようにして下さい。
*”学業の進歩によほど害がありますから”という言葉に力を感じます。不登校などもってのほかですね。学校しか勉強できる機関がないので、塾などがある今と違い影響も大きかったのだろうとも思われます。

4、 児童の働いて得た金はぜひ貯金させてください。なお、金銭を無駄遣いせぬよう注意してください。不審のあるときはすぐ学校へお掛け合いください。
*小学生が働くのは当たり前ですが、残念ながらお金は自分の自由にはならないようです。この書き方を見るに、買い食いなどしようものなら/疑われたなら、学校に連絡が行くようです。小学生のころからうかつな行動はできませんね。

5、 身体・頭髪・着物などはいつも清潔にさせてもらいたい、特に女子の頭髪は時々洗って臭くないようにさせてください。
*昔の子供は汚かった、とは聞きますが、実際手を焼いていたのだと思わされる文章。綺麗好きといわれる日本人も実はかなりの割合で洗っていなかったのだと思われます。「特に女子の頭髪~」は女子だから髪を綺麗にしてほしいと特に女子の髪は臭いのどちらともとれるのですが、両方の場合があったのではないかと推察します……。

6、 手拭きと鼻紙とはいつももっているようにさせて下さい。
*今でも割と注意されているように思いますが、ハンカチとティッシュではなく、手拭きと鼻紙という書き方には和の心があります。

7、 学用品は時々調べて足らぬものは買ってやって下さい。
*こういう注意があるということは買わない親がいたという事でしょう。もしくは、なくなっても言わない子供がいたのか、その両方か。

8、 手拭きや学用品等にはぜひ見やすいところに学年と姓名を書かせて下さい。
*なんでも最近は名前を他人に見られると危険ということで隠す傾向にあるらしいのですが、まだまだそんなことはないので、”ぜひ見やすいところに”書かせるようにと指導されています。もう一度言いますが、「書かせる」であって「親が書く」ではありません。学年と姓名を書くのも教育の一環だからでしょう。

9、 平常のいるときはぜひ持たせてください。また、あまり少なく持ってこないように注意してください。
*文房具が使っている途中でなくなるといったことはないようにとお達しです。あまり予備も学校も友達もなかったのではないでしょうか。借りるなんてもってのほかとも読めます。

10、 手足の爪は常に短く切らせてください。
*社会のマナーです。なにより衛生面では苦労していた時代ですから……。

11、 時々児童の成績物をおまわしいたしますから、よく他と見比べてご覧ください。
*個人的に衝撃的だった1文。なんと、成績は各家庭で回されていたのです。「うちの子はあそこさんところの子に比べて出来が……」なんて話題になったのでしょう。親にも見せるのを憚る通信簿がクラス中の親の目にも入るなんて……成績の振るわなかった子にしてみたら考えただけでも眩暈がしますね。

12、 父兄会や常番参観のときはぜひ御出で下さい。
*今でいう「保護者会」と「授業参観」になるのですが、いつの間にか使われなくなった言葉。父兄についてはなんとなく想像がつきますが、常番参観は時代が下ると分かりにくくなったからですかね?

13、 身体検査には十分ご注意あって標準身体票と御比べになれば自分の子供はなみの子供より体格がよいかわるいかがわかりますから、わるいときはご注意が大切です。
*これまた衝撃の1文。通信簿には身体検査の結果も載っており(単位は尺と貫!)、これが成績と一緒にクラスの他の子と比較されてしまうのです。隣組はなくとも、この時代の各家庭同士、そしてその中にいる子供たちのプレッシャーというのは相当なものだったと想像できます。

14、 児童の品行のよしあしは成るだけ学校へ御知らせください。特に受け持ちの先生へお会いになったときは何もかもうちあけてお話をしてください。お隠しになりますと却ってお子供のためになりませぬ。
*子供のあらゆる行動は学校に持ち込んで解決することになっていたようです。「お隠しになりますと却ってお子供のためになりませぬ」という言葉が刺さります。最近の学校はここまでコミットできませんから、かつての学校というのはいかに強かったのかということを思い知らされます。

15、 1月1日、紀元節、天長節、卒業証書授与式、運動会、学芸会等にはなるべく参列してください。
*卒業式・運動会・学芸会は今でもありますが、さらには正月と紀元節と天長節に参加する必要がありますから、当時の親は大変だったろうと思います。というか、子供がいる家庭は正月・紀元節・天長節は学校に行くものだったのですね。

16、 児童教育についてのご意見は何事によらず遠慮なくお申し出を願います。
*今、この1文を見るとモンスターペアレンツを思い起こしてしまいますが、当時は皇国を背後にした学校側の権力も絶大なので、言うことにも慎重にして、うっかりめったなことをいうとそれこそろくなことにはならなかったと思います。

17、 この連絡簿の通信欄をよくお使いになってお子供のしつけをなさることは教育上大切なことでありますから、子供のためを考えられますならば、どしどし通信を願いますわるいお知らせがあったとて操行評を下げるようなことは致しません。子供のわるいくせは学校と家庭と話し合ってなおすより外に道はありません。

*通信簿をつかってしつけることが大切、ということで、成績には影響しませんとはいいますが、学校とはとにかくかけあっていくようにと、そういうことでしょう。良いか悪いかは別として、学校がかなり家庭に入り込んでいくことによって真っ当な人間にしていくのだという自負心が伺えます。個人的には、外に道はない、ということもなかったように思いますが……。今の子供は特に学校に大きくコミットされませんが、かつてよりむしろずっと賢くお利口さんだったりしますからね……。


全体の言い回しが丁寧なようでなかなか鋭さを感じるのと、あと、割と漢字表記が少なめなのが印象的でしたかね。
教育問題が色々といわれる今日この頃。あえて、昔の教育を振り返ってみるのも一興ではないでしょうか。
色々な意味で、ちょっと刺激が強すぎるかもしれませんが……。




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  1. 2016/10/03(月) 18:08:02|
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文章エラーの現実と管理のお話

今回のお話は人間なら誰しもがするミスのお話。
ミスは誰しもの悩みであり様々な障害を起こすものですがどう対処すればいいのか、ということについて、特にここでは文章におけるエラーについて書いていきます。

私の仕事上、大量の公開文章を取り扱うことになるのですが、この中で必ずエラーレポートを作成することになっています。
例えば、送られてきた文章の中に何らかのミスが含まれている場合、その内容を記録しておき、明確な間違いであれば修正しますが、なんとも言い難い場合は報告に留めて提出する必要があるからです。
では、そのレポートはどのくらいの率で存在するのでしょうか?
この書類は大雑把に月1000件、1件辺り800字~1000字程度、400字の原稿用紙にして2~3枚分、というものなのですが、10件に1件はエラーが報告される、というのが平均的な数字として出ています。
これはつまり、10000字程度を書けば、それなりに学のある人が丁寧に書いてもエラーが発生すると考えてよいと思います。
一般的な卒業論文は10万字程度といいますから、そうするとどんなに丁寧に書いても他者による校正を入れない限りはその中には10個程度は間違いがある、ということです。
意外と多いな、と思われるのではないでしょうか。
それでもある程度文章レベルの高い人がテンプレートに沿いつつ書いている前提ですから、これが一般のレベルになれば大体半分の5000字書く毎に1件のミスが発生すると見込んでよいのではないかと個人的には思います。
5000字は原稿用紙約10数枚分です。他人がやるならともかく自分で書いているのを想像すると、連続してやるには集中力的にちょっと厳しくなってきそうな感じですね。
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  1. 2015/10/06(火) 20:07:54|
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第二次大戦前後のチェコスロバキアのお話

「WWII英雄列伝"泥の中の虎"オットー・カリウス」の製作も大詰めに入っており、細かい誤字の修正やバランスの調整、演出の改良をここ数日はずっとやっております。
 恐らく、順当に行けば今月中にそれらの作業を完了させ、来月の頭に日本戦争ゲーム開発を通じてダウンロード販売が開始される予定です。
http://www.dlsite.com/maniax/announce/=/product_id/RJ122927.html

 さて、この修正作業中にちょっと面白い指摘があったのでそれを話題に書こうと思います。
 それはカリウスが最初に乗る戦車38(t)のところで、これは"チェコ製"と書いたのですが、当時はチェコスロバキアでチェコという国はないのではないか?という指摘でした。
38(t)_warabi.png
 基本的にゲーム内の表記はカリウスの著書である"ティーガー戦車隊(原題:Tiger im schlamm, 泥の中の虎)"の表記にほとんどが従っています。
 指摘された後で一応改めて本を見返したのですが、カリウスはこの戦車を"チェコ製"と述べています。
 また、他のナチスドイツ軍を扱った書籍やインターネットのウェブでも多くが"チェコ製"と書いてあります。
 個人的にはあまりこの辺りの表記に疑問を持っていなかったのですが、せっかくの機会なのでもうちょっと掘り下げてみたいと思います。

 さて、確かにチェコという国ができるのは戦後になってからで、第一次大戦後オーストリア=ハンガリー帝国から独立し、ナチスドイツに併合されるまでそこにあった国の名前は「チェコスロバキア共和国」でした。
 では、カリウス始め多くの書籍で"チェコ"と書いてあるのは厳密には間違いなのでしょうか?
 この辺り実は微妙な民族対立や政治的に複雑な問題が絡んでいます。
 
 まず民族としてチェコ人とスロバキア人というのは同じスラブ系で言語も非常に近くはあるのですが、歴史的にお互いに違う民族であるという意識がありました。
 また、チェコは比較的工業が進んでいましたが、スロバキアは農業中心という違いがあります。
 そして、チェコとスロバキアという2つの名称が融合した国名でありながら、実質はチェコによるスロバキアの支配という状態にあり、政治を動かしていたのは主にチェコ人達でした。
 このことにスロバキア人達は不満を持っていたといいます。

 第二次大戦の前、ヒトラーは国境を接するチェコ国内にドイツ系の人々が住んでいることを理由に高圧的な政策を持って支配しようと目論見ます。
 地政学的にもドイツ南部に食い込む形で存在しているチェコは近い将来戦争を考えていたドイツにとってあまり好ましくない地域でした。
 「チェコスロバキアはその存在すら許せない」という発言をするドイツ高官すらいたといいます。
 また、多少劣るとはいえ、優秀な工業力を持つチェコの都市は当時まだ立ち遅れていたドイツにとって魅力的でした。実際、併合後にチェコが開発した戦車35(t)と38(t)を接収、生産を続けさせて戦争に活用しています。
 一方のスロバキアは農業国であり地政学的にも支配する必然性がなく、支配後の反感を受けてまで支配するほどにドイツにとってあまり魅力的ではなかったようです。
 詳しい歴史的経緯は他に丁寧に説明している書籍やサイトがあるので省きますが、これらの理由により、ヒトラーはスロバキアの独立運動に介入し、スロバキアをチェコから独立させることに成功します。つまり、チェコスロバキアという国名ではありましたが、ナチスドイツが併合する直前には"スロバキアは既に独立していました"。そして、弱体化したチェコスロバキアはナチスドイツに併合されてしまいます。一方のスロバキアは独立したものの国力が弱いため、ナチスドイツの保護国、実質的にドイツの傀儡政権となります。

 とどのつまり、ナチスドイツから見て、チェコスロバキアという2国が連合した存在は政治的・地政学的にも排除しなければならず、また実質的にスロバキアが含まれていない国は"チェコ"と考えられていたようです。もちろん、チェコスロバキア共和国からすればスロバキアの独立はナチスの工作によって行われた不当なものですから、断固としてチェコスロバキアという名前を貫き通します。
 そういうわけで、書籍等で「チェコ」と書いてあってもあながち間違いではなく、そういう名前の国がなかったのは確かですが、調べていくとそう呼ばれる理由がある方面から見れば存在するということがわかってきます。

 難しいのは戦後ドイツが敗北したことで、この独立したスロバキアはナチスドイツがその政治的・戦略的都合で作り上げた不当な傀儡政権として、過去に遡及してその存在そのものが認められていない、ということになっていることです。
 現在、スロバキアという国は存在していますが、世界的な視点では(もとい戦勝した連合国的視点から見れば)チェコスロバキア(その亡命政権も含めて)は第二次大戦中も存在し続けており、戦後その続いているチェコスロバキアがビロード革命、連邦化とその解消を経て1993年にそれぞれ分離独立した、ということになっています。

 なお、これらの内容をいちいちゲーム内で説明してもテンポが悪くなるのと、作業時間が増えて間に合わなくなるという大人の事情で"チェコ"という表記のままにしていることはご了承いただければ幸いです。




テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2013/11/23(土) 15:14:01|
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