The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

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イギリスの言い訳

 懐かしくも整理していたら以前に書いたエッセイが出てきたので、これを使って簡単な政治関係の記事を書こうと思う。当時、このエッセイを書いてたときは随分と混乱していた気がするが、一度日本語に書き下ろしてみると案外整理できて、一般向け(?)と考えているこのブログにも公開できるようになった。当時は授業の先生の圧力に押されて結論を何度も変えた思い出がある。やっぱりおかしいだろう、と何度も思いつつ結論を変えたら点数はなかなかよかった(実は変えなくても他の部分がきちんと書けてれば点数はあまり変わらないと後から知ったが)。しかし、後悔がないといったら嘘になる。そして今、ある程度論理の仕方を知ってもこれは非常に難しい。

 現在中東で起きているパレスチナとイスラエルの抗争。これの元の原因をたどればイギリスが第一次大戦中に取り付けた3つの約束事にある。当時、イギリスはドイツと同盟を結んでいたトルコとも戦争していて、このトルコを戦線から脱落させるため、当時トルコが支配していた中近東で反トルコの勢力を支援する作戦を思いついた。

 そのために(1)フセイン=マクホマン書簡というのを出している。これはメッカ太守のフセイン(ファイサルの父)に与えたアラブ国家設立の約束をしたものだ。

 ところが、戦争するにはお金がいる。世界で一番お金を持っているのはユダヤ人だ。そんなユダヤ人の民族復興と彼らの母なる地であるシオンの丘(イスラエルの別名)に帰るというシオニスト運動に目をつけて、これを支持する形で(2)バルフォア宣言というものを出す。まだ、トルコの支配がパレスチナに及んでいるにも関わらず既に2枚舌外交をやっていたわけだ。

ところが、イギリスは2枚舌どころでは終わらない。ほぼ同時期にフランス・ロシア・アメリカと中近東を分割して統治する算段をつけていたのだった。ただし、アメリカはセーブル条約を批准しなかった上、国内世論がヨーロッパから離れていき、ロシアは大戦中に革命が起きてしまったので、事実上イギリスとフランスだけで秘密裏に分割統治する(3)サイクス・ピコ協定というものを結んだ。ようするに二枚舌どころかその約束すら足蹴にして自分達がその辺りの領土を支配しようとしてたわけである。
*ちなみに(1)~(3)のカタカナの部分はそれの当事者の名前である。

普通ならここでイギリスは最悪だ!と言えるのだが、どうしてかイギリス自体はそれにこたえない。なぜなら、当時条約を結ぶ前に既にそうなることが(最悪の事態として)予測されていたようで、ちゃんと強い反論要素まで用意していたからだ。
まず(1)のフセイン=マクホマン書簡だが、これにはパレスチナという地域について書かれている部分がすっぽり抜けている。つまり書簡をよく読めばパレスチナにおける独立は約束されていない。歴史的な成り行きとしてパレスチナは独立するだろうと考えていたフセインのある意味早とちりと取れるのである。

 次に(2)のバルフォア宣言だが、これも巧妙な手が使ってある。下記のホームページが詳しいが争点はこの宣言内にある「”a national home”の設立」である。英語を習ってまず多くの人が混乱するaとtheの違い。つまりaは不定冠詞であるために確定した場所を宣言していないと言えるわけだ。またあくまでhomeの設立であってcountryでもstateでもないので独立国家は認めていないという立場を崩していない。つまり、これもユダヤ人の国家樹立を約束したとはとれないわけだ。
参考:http://ww1.m78.com/topix-2/balfour%20declaration.html

 最後の(3)サイクス・ピコ協定だが、これは少々厄介だ。実際にフランスとイギリスで分割統治することを話しているが、あくまで秘密会議の域を出ず公式な宣言ではないとも取れる。また分割地区も英仏の利権よりは当時の中東における勢力分布を基にしている。そのため、現在でも国境線はこの時の協定ラインからさほど変わっていない。それと問題のパレスチナはイギリスだけではない“国際管理下”に置くとされている。ただ、第二次大戦後にまともにこの地区を統治できるのはイギリスだけだったからイギリスが行ったというらしいのだ。
参考:http://ww1.m78.com/topix-2/sykes%20picot%20agreement.html

つまり、結論(自分が基にしたエッセイ)ではイギリスは全ての項目に対して論理的に反論することが可能なわけである。そのため、イギリスには中東問題には責任が全くない。後年、中東がらみの紛争を鎮めるために手を出したのはあくまで“善意”であって、紛争を収められないと分かった瞬間に手をひいてバックれてもそれはイギリスの自由。こんな感じで完全に責任を国際的に受けないというわけだ。

 だが、どう考えても(1)や(2)のようなものが出れば受け取った当事者は舞い上がることはイギリスも予想できたわけで、その反論はむしろ確信犯的であったとも取れる。ただ、その確信であったことをサポートする論理がない。また(3)に関してもイギリス以外の国が政治問題でごたごたするのは目に見えていたし、同じ協定を結んだフランスでさえ騙されて後年問題になるトルコとの国境線沿いの地区を統治するというババを引かされているから中東がイギリスの一人勝ちになるのは見越しているわけだ。大体、国連だってまだ設立していない。しかし、これらも結果論だといってしまえばそれまでになる。

 どうも、非難するための情報が「舞い上がることは予想できた」ぐらいでは議論に弱い。大まかな流れと、現在の中東情勢を見る限りイギリスの歴史的責任は大きいのだが、調べれば調べるほど議論的には不利になり、逆にイギリスの狡猾さだけが際立っていく。

 どこかの国のように感傷に訴えればいくらでも非難できるだろう。だが、ここまで綿密な論理の上に成り立っている世界情勢にそんなことをいっても「馬鹿じゃないの?」と逆に言われるだけだろう。感情に訴える言い方は逆に相手が何も感じなければなんの効力もないからだ。その点、証拠はあるのならばそれだけで相手にそれ相応の対応をさせるだけの力がある。
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テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

  1. 2007/04/10(火) 03:11:34|
  2. ちょっと硬めな勉強のお話
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