The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

言葉の感覚

街を歩いたり、雑誌を見ると人目につくキャッチフレーズがつねに飛び交っている。

言語で飯を食っているからか、そういったものが日常的に目につき始めてきた気がする。

それは非常に短い単語や文章で人を惹きつけなければならないから、決める人の才能というものには頭が下がる重いだ。

ただ、不思議というか、よくよく考えると実は変と言うか、時には不気味なものというのはある。

例えば、有名な奴だと「自分へのご褒美」というフレーズだ。

これは雑誌やお店でもよく見かけるし、日常会話でも普通に使っている人は多いと思う。

だが、よく考えなくても非常に変な言葉である。

なぜなら、ご褒美をあげる対象が自分であり、そして、(主語は省略されているが)その自分にご褒美をあげる人間は他でもない自分自身であるということだ。

普通に考えると、自分自身の中で等価交換というのは起こりえないし、こんな難しい言葉を使わなくても、単純に消費しているだけである。

それに、あげる自分と貰う自分が分離していると言うのも意味が分からない。
個人の消費であれば、行動は単純で分かりやすいが、その個人が2つに分かれてプレゼントの受け渡しをしているというのは複雑、そして実に不気味である。


人類学の中で、人がなぜお互いに物をプレゼントしたり、されたりするのかという理由を説明するためには、人間関係の構築と、そこから生まれる利益を追求するという前提が存在して初めて様々な議論が可能になるようになっていた。

それは、一見完全な奉仕か趣味の範疇に見えるミクロネシアの住民たちによる貝殻等のプレゼントも、島同士で貰ったものを更に交換することでネットワークを作り、一方的な搾取にならないよう完成されている・・・と説明されているわけだが、これもこの前提があってはじめて説明が成り立っていたのである。

だが、原始的な生活から脱却した現代では、個々人の中でさえ、そういったご褒美というあげる側が自分であるにも拘らず(これは日本語の特有の表記でぼかしてはあるが)、自分が貰い、その貰う自分は決してあげる側に回らないといった妙なネットワークが形成されていると考えなくてはならない。

いや、本来だったら、こんな難しく考えるのではなく、単純に「消費」というのはなんだか嫌だから「自分へのご褒美」と言い換えてる、とすれば簡単なのだろうが、その言葉を持って来る感性自体、それまでだったら考えられなかったことだと思う。


そもそも、女性が完全に貰う側だけに立つという現象は人類の歴史上全くなかったことだと思うのだが、いつのまにか普遍化しつつ、しかも昔からあった伝統のように言われていることも、時系列がめちゃくちゃくになったようで変な感じがする。


人類学は基本的に後ろ向きなのであるが、ふと現実に戻って前を向いた瞬間に妙な世界が広がっている。そういう学問だったのかもしれない。
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テーマ:雑記 - ジャンル:日記

  1. 2008/11/22(土) 11:28:43|
  2. ちょっと硬めな勉強のお話
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