The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

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「遊び」に関する考察

久しぶりに更新します。
色々とやることに追われてはいるのですが、一定のペースに戻るように少しづつでも再開していこうか・・・と考えています。

今回は人類学の中でもちょっと特異な「遊び」に関することです。
「遊び」というのは少なくとも人類全てが様々な形を持ちながらも共通に持っているものです。また、人類に限らず動物の中にも遊びと考えられる行動を持つものも結構います。
しかし、いざ遊びとはなにか・・・と考え始めるとこれが思いのほか難しいということが分かっています。
先駆的な存在として、ホイジンガ、そしてその後影響を受けつつ自分なりに遊びの定義を構築したカイヨワという人がいます。
彼らが書いていることを紹介するのも良いのですが、調べると結構インターネットの中で詳しいものが見つかりますし、ここでは簡単な言葉だけにして、この遊びの研究に入る取っ掛かり的なものを書いてみたいと思います。


「遊び」とはなんだろう?
人はなんで「遊ぶ」のだろう?
「遊び」とそれ以外の違いはなんだろう?

なんだか哲学っぽくて難しそうですが、ざっくばらんに自分が遊びと考えているものを何でもいいので思い浮かべて、逆に遊びじゃないとか、遊んでいても面白くない、遊べない、といった状態と比較しながら、考えていくと、面白いかもしれません。

例えば、プライベートの遊びと仕事をきっちり分ける人がいる一方で趣味が仕事になっちゃった人もいるでしょう。
世間的には勉強・・・と言われながらほとんど遊び感覚で覚えてしまったことはないでしょうか?
逆にみんなが遊びだと思われているスポーツやゲームがとにかく苦痛で、こんなものなくなればいいと思ったことがあるかもしれません。

遊びとは主観と客観の両面で定義されうる不思議なもので、世間的に決まっている遊びと、個々人が思う遊びには差があることが多々あります。
一方で、場面さえ変われば共通理解すら得られます。

例えば、仕事でスポーツをやっている選手がいます。試合のときは必死ですから遊びとはとてもいえないでしょう。ですが、それ以外で子供と同じスポーツをすると、今度は遊びに変わります。まぁ、必死で将来のことを考えてトレーニングするつもりの人もいるかもしれませんから、この遊びすら遊びでないと言い切るかもしれませんが、試合の時とそれ以外では同じスポーツという行動ではあれど、全く異質なものであると認識されることに異論はないでしょう。


特にエンターテイメントを売りにする人たちは、いつも「遊び」とはなにかを考えなくてはいけません。
なぜなら、彼らの顧客には「遊んで」もらわなくてはいけないからです。
「遊びではない」と思ってしまうと失敗です。
先ほども書いたとおり、「これが遊びだ」と作り上げても、それが顧客にとって「遊び」と認識されなければ駄目なのです。
一方で、作り手が「これは遊びとしてどうだろう」と思うようなことでも、受け手が「遊び」として楽しんでしまえば成功です。

こうかくと、それぞれ別の事例として発生しそうですが、実は厳密に言うと両方同時に起こることもありえます。
個人的な経験で言えば、製作したRPGのゲームがあったのですが、これは面白いだろうと心血注いで盛り込んだ要素が完全に無視されて、「そんなものがあったのか」という程度で終わってしまうこともあり、また逆に私自身はレベル上げというものは作業に感じて非常に苦痛で仕方がなく、移動の中で多少のスパイス的にしか入れない方針でいるのですが、プレイした人の中には同じ場所にとどまって何度も何度も敵と戦いシステムエラーを起こすまで上げた人まで現れました。

なにがそうさせるのか?
遊びに関しては提供する側と受け手に気持ちの疎通があることが重要なのは異論がないと思います。
ですが、一方で裏切られることも必要なのではないか・・・と私は思います。


遊びというと”もの”で考えられがちですが、実は人の期待に沿う部分と裏切られるものの混在という複雑な感情を考える必要があると思います。

そして、面白いことに周囲の人は遊んでいる当事者を見れば、それが遊んでいると分かる。
その行動をすることでどういう感情を本人が持っているかを知るか知らないかに限らず、遊びだとはっきりと分かる。
人どころか、動物であっても、遊んでいる、と分かることがあります。


辞書を引くと遊びの定義は「楽しむためにすること」とか「余裕があるとき、仕事以外ですること」といったものが出てきます。
ですが、こうやって考えていくと、遊びは本当に「楽しい」だけで説明できるのか、「余裕があって、仕事以外」なら遊びなのか、といったことに疑問が沸いてきます。

あなたが今インターネットを見ているこの瞬間、それは遊びでしょうか?
それともただの暇つぶしでしょうか?暇つぶしはどうでもいい単純作業だったりするので、必ずしも遊びとはいえないかもしれません。じゃあ、遊ぶってどういうことでしょう?


ここではまだ頭の中で考えている状態ですが、実際に生活している中、なにか行動している中で、これは遊びなのか、ということを考えることも必要です。
遊びに疑問を持ったら遊んでみたり、また遊びではなく仕事に出たりして、また考える。

非常に狭い範囲の日常でも人類学というのはこうやって実践的にできてしまう不思議な学問なのです。周囲に飽きてきたら他のところへ出向いていって遊んでみるのもまた一興。
今回は遊びに限っていますが、それ以外の人の行動、それぞれにスポットを当てて考えることで無限に近い可能性があります。





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  1. 2011/08/23(火) 22:11:29|
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