The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

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旭山丸

kyokuzanmaru.png

数ヶ月ほど前から3Dモデルの製作を始めて最近ようやく慣れてきたところなのですが、そんな折にこんなものを作ってみました。
第二次大戦中に日本が建造した大型貨物船の「旭山丸」です。
モデルのダウンロードは以下から出来ます。
http://bowlroll.net/up/dl9483

総トン数:6493トン、速力12ノット(ただし実績値は8.7ノット)約1万トンの石炭や武器を積載可能な船でしたが、フィリピンにて米軍機の攻撃を受けて撃沈されました。
沈没した船体は現在ダイビングスポットとして有名で、Youtubeでも検索をかけると結構な数の映像を見ることが出来ます。



このモデルを作ろうと思った経緯なのですが、なにより当時私の祖父がこの船に通信士として乗り込んでいた、というのがあります。
幸いにもこの船がフィリピンに行って撃沈される前に祖父は海南島で本土に転属命令が来たため、無事に現在も元気に過ごしています。祖父がこの船がフィリピンで沈んだのを知ったのは戦後になってからのことでした。

また、ずいぶんと前になりますが、戦時輸送船史探訪のサイト管理人である岩重氏にこの船について問い合わせたことがあり、それを機に模型まで制作していただいています。
http://ww6.enjoy.ne.jp/~iwashige/kyokuzanmaru.htm

これらの資料を参考に今回の3Dモデルは製作されています。恐らくは3Dモデル化されたのは沈船の資料を除けばこれが最初…かもしれません。
祖父によれば、海南島に行くまで武装はなく、急遽門司の港で機銃や大砲を備え付けた、とのことなので、本土を回っていたころの非武装状態を再現してあります。
困ったことに当時の写真が一枚も残っていないらしいので、外観の多くは証言に基づく推定になっています。


さて、戦後生まれの世代である私達は基本的に戦争は酷いものという認識を植えつけられているのですが、こと祖父に関してはあまり悲惨な話を聞きません。
散々酷い目にもあってはいるのですが、どちらかというと当時を懐かしむように楽しんで話したりもします。
どうも、祖父の場合は軍隊に入る前の状態がかなり貧乏でその日のご飯にも困っていたのが、軍隊に入ったら"飯が毎日食べれた、タバコが吸えた、酒が飲めた"というのがかなり大きかったようです。前線で飢えた部隊の話はよくありますが、後方の輸送任務の場合、戦争末期でも軍隊にいれば食べ物にはそれほど困らず、むしろ本土の裕福な家庭よりも食べ物にのみ関していえば贅沢をしていたようです。
また、祖父の性格もどちらかというとそれほど目立たず、要領よく立ち回り、人当たりも悪くなかったのが幸いしてか、酷い体罰やいじめにあわなかった、というのもあるようです。あと、やはり通信士というのはそれなりに貴重なので、新兵といえ酷い体罰を課して任務に支障をきたしてはまずいというのもあったのでしょう。
もちろん、それでも軍隊なので夜中に突然上官に起こされてハンモックをたたむのが遅かったり、綺麗にたためなかったら即強制労働、とか、突然上官に船のスペックを聞かれてすぐに答えられないと鉄拳制裁とか(そのせいで祖父は未だに船のスペックを聞かれると正確に答えられる)、そういうことは日常的にあったみたいですが…。

祖父は通信士になる為に"トイレの中でも本を片手に勉強した"と言っていましたが、それだけ勉強して実際に船に乗って任務についても聞いたのは"SOSぐらい"だったといいます。
祖父が船に乗っていた頃は既に日本は敗色濃厚で、通信をしようにも敵に傍受される可能性が高く、自分から送信することはほとんどなくて基本は封鎖。なにか入ってくるとすれば、敵の攻撃を受けて必死に助けを求める場合(これも受信しても輸送船程度が助けに行けるわけもないので無視するしかない)か、玉砕前の最後のメッセージ、だったと言います。

また、船が目的地に行こうにも海には米軍の潜水艦が常にうろうろしていて、ある日突然凄い音がしたと思ったら、隣を走っていた駆潜艇の艦首がもぎ取られていた、とか、海南島に着いた折には連日B25の爆撃を受けて、その爆発で起きる水柱がマストよりはるかに高かったとか、とにかく常に危ない状況だったようです。

それでも生き残れたのはとにかく運がよかったのでしょう。
むしろ、どうも戦争から帰ってきた後のほうが人間関係等でどうにもよくないことが多かったようで、また当時20歳前後の一番元気な時というのもあって、とりわけ戦時中のこの船に乗っていた時期が一番輝いていたように感じているみたいです。
今の貨物船と比べてもそれほど大きくもなく、設備も貧弱なのですが、それでも、この旭山丸は祖父にとっては人生で一番の船、であるようです。
お酒が入ると「あれは良い船だった」と呟くのが常です。




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テーマ:軍事・平和 - ジャンル:政治・経済

  1. 2012/10/10(水) 23:03:32|
  2. ちょっと硬めな勉強のお話
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