The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

性的役割

大分遅ればせながらあけましておめでとうございます。
本年も月一更新を目指してこのブログを続けていくつもりです。

最近は自作ゲームの公開に関連して第二次大戦関連のエントリーが多かったのですが、久しぶりの人類学の話題です。
いわゆる男女で役割が異なるのは生物的に当然なのか?というお話。

これは特に少子化と関連して語られることが多く、少子化の原因と女性の社会進出が重なったことから、少子化を解消するためには過去のような男女の役割分担に戻したほうが解決する、という考えがあるようです。
その考えの補強材料として生物特に哺乳類では雄雌での役割分担がはっきりしている、ということを持ってくることが多くあります。

さて、この話で複雑なのは文化的な性と生物的な性が必ずしも同一ではないということであったりします。
日本語では性は一つの単語でしかありませんが、欧州言語件では文化的な性と生物的な性を区別します。
そのため、日本でも文化的な性を考えるときはあえて英語の"ジェンダー"を使用する場合もあります。
ジェンダー論とはつまり、文化的な性において差別をなくそうという考えなのだといえます。

ですが、完全に生物的な性とジェンダーを切り離せるかというとそれもまた難しい話。
人の男女では体格差や体力の差は他の生物より少なく、近代の生活においては特にその差を感じることは少ないのですが、かといって、ではまったく同じ条件を適用するかといったらそれは困難な話。
一般的にどうしても男性と同等の作業をする場合、女性に多くの努力が必要になります。
一方、では生物的に差があるから女性にはそういう仕事につかないようにしよう、とするとこれまた問題です。
"努力すれば十分差が埋められる範囲"にあるにも関わらず、差異を持って役割を固定してしまうのは社会的に見ても決して合理的ではありません。

もう一つ考えなければいけない問題として生物的な性も必ずしもはっきりと存在しているわけではないということです。
究極的には生殖能力の違いのみが男女を分けています。
しかし、生殖能力以外の男女差は大まかな傾向はあっても、必ずしもはっきりと分けられることはありません。
必ず人口の何割かは"男性っぽい女性"と"女性っぽい男性"が混じることになり、両者の境は曖昧です。

体格があっても、個々人には異なる性格があります。
立派な体格でも細かい作業に向いていたり、逆に生まれつきの体格はよくなくても努力と技術でカバーすることができる人もいます。
どんなに素質があっても、性格が伴わなければ成果は現れません。


とどのつまり、文化的な性"ジェンダー"も生物的な性は微妙にオーバーラップしながらも異なる性質を持つということです。
そして、その複雑な関係を理解しない限り、男女の役割は必要といっても不必要といっても、個人の自由を奪う暴論になりかねないと思います。

個人的には男女を考える、というのはあまり方法論として正しくないように思っています。
なぜなら、文化的にも生物的にも性というのは必ずしもはっきりプラス/マイナスのようにわけられるものではないからです。
それをわけられるものという前提で考えるためにどちらかのグループに無理やり入れたり逆に入れなかったりして不都合が発生するのだと思います。
まずはジェンダー論にしても「男女はきっかりわけられるものではない」という所から考えを出発させることが始まりであり、役割分担は個々人の持つ"多様な性"に応じていくことこそが現在の社会問題を解決する鍵なのかもしれません。



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テーマ:Gender Free - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2014/02/03(月) 23:39:37|
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