The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

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ゴジラ60周年リマスター版感想

先日、ゴジラ60周年記念デジタルリマスター版を見てきたので感想を書いていきます。
ただ、デジタルで綺麗になった、という感想だけで終わってしまうのもつまらないので、子供のころに何度も見返したのをうん10年ぶりに改めて見て感じたこととかも細かく書いてみたいかなと思います。
60年前の映画ですし、名作中のド名作ですから内容を説明している書籍・サイトもごっそりあるので、容赦なくネタバレ全開で行きます。どうしても知らないまま見たいという人だけはご注意ください。
また、好きな人の気持ちを逆なですることになるのは分かっていても、あくまで現在の基準で可能な限り素直に映画の感想を書かせてもらいます。更にいつにもましてものすごい長文です。その点ご容赦を。


1、デジタルリマスターになってよかったこと。
 まず、これは他のレビューでも書かれていますが、映像は非常にくっきりクリアーになりました。
 最初に見たのはVHS版なのですが、白黒映画であることはわかっていても、とにかく”暗くてもぼやけてわかりにくい”と思った覚えがありますが、それはかなりの割合で解消されています。
 ゴジラの最初の登場シーンでは昼間に山の向こうから頭を出すのですが、それ以降の登場は基本的に夜だったり水中だったりするので、映画が全体的に暗いトーンであることも相まって、初代ゴジラはとにかく巨大な黒い塊でした。それはそれで不気味で臨場感がある、という人もいますし、わからなくもないのですが、やっぱり綺麗に見えるなら見えるに越したことはないな、と今回思いました。ああこのシーンでもこんなにくっきりゴジラの顔や体の表面の様子が写っていたのか、と過去にVHSで見た人は思うこと請け合いです。
 そもそも、いかに古い時代であっても一番の見せ場であるシーンで主役(宝田明さんには悪いけど)をぼやけた状態で演出する、というのは考えにくいので、やはり昔はちゃんとくっきり映っていたのをみんな見ていたんだな、と確認できました(良く見えなかったら文句の一つも言う人が出ただろうけど、知る限りそういう声はなさそうなので…)。
 余談ですが、以前この映画を1954年一般初公開当時使用されたフィルムで上映するという会に行ったことがあるのですが、これはVHS以上に劣化が激しく、子供の時に見た「よく見えない映画」という思い出をより増幅することになっていたよう思います。

 逆に他の感想でも見られた、綺麗になってかえって合成個所がわかりやすくなってしまった、というのも確認できました。しかも、後のシリーズ作品に比べて合成技術もまだまだ未熟であるためか、合成個所が変に揺れたり浮き上がって見えたりします。特にゴジラ対策に乗り出して海岸線に高圧電流の電線と鉄塔を建設するシーンでは顕著ですし、ゴジラの足元で逃げ回る人々や崩される建物の中に人がいたりするシーンもちょっと色が違うように見えます。
 これまではフィルムが劣化していたことで全体ぼやけていたためこれらもあまり気にならないどころか周囲と上手く溶け込んでおり、却って”初代は後の作品に比べてもよりリアル”という時代を先取りしたみたいな評価があったのですが、フィルムの劣化ゆえに生じた偶然の産物とも言えそうです。もちろん、当時の映像技術としては飛び抜けていると言っても過言ではないものなので作品の評価そのものを落とすものではないのですが(後のシリーズ作品では大勢の人が怪獣の周囲を逃げ回る演出すら少なくなる)、初代の映像が後のものより優れているというのとは違う、ということですね。


2、とても挑戦的な演出の数々、意外に暴れない(暴れられない)ゴジラさん
 後のシリーズになるほど段々演出はこなれていき、ある種の”怪獣を演出するならこう!”というお約束さえ出てくるのですが、この映画に関してはまだその様式美がない分、意味見ると逆に新鮮な演出が多くあります。
 特に印象的なのは意外と「音が少ない」ことですね。あの印象的なテーマソングはありますが、実はゴジラが登場しているシーンの音楽では音楽がほとんど流れておらず、静けさの中ゆっくりと動いていたり、いざ戦闘が始まっても効果音だけが流れるといったシーンが続きます。そして、テーマソングも段々とフェードアウトして、また静けさが始まり…と、この緩急が強い点が後の作品に見られなくなったのは不思議なことです。
 ゴジラさん自信も後の作品では結構飛んだり跳ねたりダイナミックなのですが、この作品ではスーツが非常に硬くて重かったせいか、動き自体は控えめです。建物を壊すときもゆっくりと覆いかぶさるように壊します。動きがゆっくりであるせいか、それを補うように火を吐くシーンが挿入されているように見えました。実際、口から吐く炎の合成も後付じゃないか?と思えるようなところがチラホラ。そのため、炎の効果も派手に爆発したり、ゆっくり燃え上がったり、とばらばらです。炎によって鉄塔が溶けるシーンは非常に効果的なのですけどね。ただ、とにかく統一感がない感じです。これも恐らく当時はまだ具体的な形を決めないままに撮影を開始し、現場で試行錯誤していたせいではないかと思います。しかし、その試行錯誤が思いのほか効果的だったのも事実で、それがこの作品が特に注目される一因であることのように思います。後のシリーズではこの作品のヒットのせいでとにかく企画が先行してどんどん作ることになったせいか、余り省みられなかったか、もし省みようとしてもその頃にはもう特撮の様式がほとんど完成しきってしまって、なかなか手を出せなかったのかと思います。
 映画後半、ゴジラさんがセイバーによって攻撃されるシーンでは妙に手をパタパタさせて、空中には全く手出しができず、そのまま海に消えるという、これも後の作品では見られない行動を取っています。2作目からは普通に火を吐いて戦闘機を撃墜するので、恐らくは首を上に曲げるようなギミックが用意できず、撮影も終盤にかかっていたのでそのまま通してしまったのではないかと予想します。
 多少余談になりますが、この時代の戦闘機はまだミサイルを装備しておらず、ここでセイバーが使っているのはロケット砲です。ところが、後の作品で新型戦闘機は散々登場するのですが、なぜか律儀にずっと怪獣相手にロケットを砲を使い続け、それは平成になっても続きます。いわゆる東宝オリジナルメカのような超兵器でない実在の戦闘機がミサイルを使うのは2000年代に入ってからという実に気合の入った1作目から続く伝統だと個人的には思います。


3、特殊な時代背景、若いゆえに…な俳優達
 言ってしまっては悪いですが全般に俳優の演技はそんなに良くないです。当然ですが、演技もこの60年で進歩したのだと思います。怪獣登場に対して色んなリアクションを見せる後の作品に比べますと、結構ただ棒立ち状態です。ただ、最近の東北震災と津波の映像なりみるとわかるのですが、実際にとんでもない災害を前にすると人間ショックで間が抜けたようになったり、固まって棒立ちになったりゆらゆら歩くしかになることのほうが普通だと思うので、怪獣を前にして色んな反応を多少オーバー気味に見せる後期の作品より”下手な演技のほうがリアル”という面もある気がします。
 ただ、一方で下手になってしまった原因の一つとしては、やはりゴジラという怪獣の存在に対して、いまいち俳優達がどういう反応を取っていいのかがよくわかっていないという点に尽きると思います。怪獣映画を見た人が少ないのですからその点仕方ないですが、残っているインタビュー記事などからも俳優に指示する監督側としてもとても苦労したことが伺えます。ゴジラ最初の登場シーンで人々が逃げ回るのだって群集の足元を写したり俯瞰にすることで補っていますが、結構動きがばらばらです。
 ゴジラが戦争をモチーフにしているのはよく言われていますが、逆に言うと、当時は戦争を出さないと必死に逃げ惑ったり混乱する演技をしてもらい難かったと思うんですよ。俳優にはイメージを伝えて演技してもらわなきゃならんわけで、そのイメージには「空襲」というのがぴったりだったんだと思います。なにしろ、当時の大人はほぼ全員が”戦争体験者”ですし。そんなわけで、後半の燃える街を見つめる群集、そして、海に消えるゴジラに対して悪態をつく様子なんかはとってもリアルです。一方で戦争の記憶が段々薄れるに従ってそういう戦争をイメージしてくれと言ってもなかなか伝わらないでしょうし、怪獣映画を見る人もそれなりにいますから、その映画のイメージで演技してもらうことになっていくのでしょう。

 加えて、主演の宝田明さん、ヒロインの川内桃子さんはじめ主要登場人物陣も今の基準で見てしまうと見るとちょっと…いまいちな演技に見えてしまうんですね。怒ったり泣いたりといった感情表現がどうにも足りない気がします。当時の日本人って今よりももうちょっと控えた感情表現をしていたかもしれませんけど、一方でゴジラに入れ込んで抹殺を叫ぶ流れに怒ったり落胆する山根博士役である大ベテラン志村喬氏は実に”らしい”演技を見せているので、単純に演技経験が足りないんだと思います。宝田さんも当時20歳でこれが初主演ですから無理もなく、実際後の作品の出演ではより上手な演技を見せているので、いろいろな事情はあったにせよ、もうちょっと指導と経験があれば…と思ってしまいますね。ですが、そんな若い俳優達が中心であるため、どっちかというともうちょっと年齢の高い大人の人たちが多く登場する後の作品に比べると新鮮に映ります。
 志村氏以外でリアルな演技を見せているのはなんといってもゴジラに壊される鉄塔の上から実況中継をするアナウンサー役の橘正晃氏で、自ら顔にオリーブオイルを塗って汗を表現し、目の前に火を炊いて演技するという気合の入れっぷり。本人曰く1948年の福井地震をイメージしていたそうで、緊迫感が伝わってきます。なぜか、このアナウンサーによる緊迫の現場実況というシーンはあまり後の作品にはなく、この作品を特に際立たせる要因にもなっていると思います。
 ちょっと関連して思ったことですが、2014年版新作ゴジラの予告で、「It's going to send us back to the Stone Age!」と叫んでいるのを「もはや我々に打つ手はない」と意訳を越えた超訳するのはちょっといただけない。レイモンド・バー版は未見なのでこれと同じセリフがあるかはわかりませんが、恐らく日本版でこのアナウンサーが発言する「我々は200万年の昔に戻されてしまったのでしょうか」の台詞のオマージュのはずなのです。”石器時代”が違和感あるなら、「大昔に戻される」でいいじゃないですか、ねぇ。実際の映画ではちゃんと訳されているかもしれませんけど、初代のファンなら飛びつくはずなので…。


4、結構複雑な人間関係の物語
 単なる怪獣が出てきて暴れて、それを退治するお話、と言ってしまえばそれまでですし、怪獣が売りなのは間違いないんですが、逆にそう思われるのを避けようとして思いっきりいろんな要素を詰めこんでいると考えられるのが本作でもあります。それでも公開後には一部識者からゲテモノ映画扱いされたみたいですけれど。

 まず人間側のストーリーの軸として、主人公は南海サルベージの船員です。これも島に行くために船を操ったり終盤で潜ったりする為に用意されたような設定です。彼自身、話の軸そのものには実はあまり絡んできませんし、ゴジラ対策になにか大きな仕事をしたわけでもありません。ある意味なにも知らないできないからこそ、視聴者に一番近い目線として動くために存在するような役回りです。
 そして、ヒロイン。基本的にヒロインの行動がエンディングに繋がるといっても過言ではなく、実は主人公よりも重要な役回りです。父に古生物学者を持ち、最終的にゴジラを葬ることになる兵器を開発した若き天才学者とは幼馴染で兄妹のような関係……と、物語の中心となる人物を繋ぐ役割を果たします。主人公とは恋仲であるのですが、この当時の風習として親が明確に結婚を許すまでは社会的には”ただの人”ですので、なんとも煮え切らない態度に終始します。一方、幼馴染の若き天才学者がヒロインの父の養子になる、という話をしているので、いわゆる許婚に近い関係だったのでしょうが、この学者が戦争で目を負傷し、引きこもって研究し始めた辺りから当初の関係も変わってきてしまったようです。本人は一応取り繕って「お兄様のように慕っていた気持ちは変わりませんでしたのよ」と言っていますが、本当に変わっていないならわざわざ言いませんよね……?そして、主人公と仲良くなって結婚まで考えるが、そんな折に事件が起きて、天才学者も地下の研究所から出てきてしまい……と書いているとなんとも昼ドラめいていますが、映画の中では時代背景もあってか割にストイックです。
 ヒロインの父親である古生物学者山根博士。なにがなんだかわからない物語の人たち、そして映画を見ている人たちに説明してくれるガイド役です。といっても、ちょっと古生物に詳しいだけで基本的に未知の巨大生物であるゴジラのことがちゃんとわかるはずもなく、わかった気にさせてくれる、といったほうが正しいかもしれません。ですが、説明なくもやもやしたまま話が進むよりはなんとなくの説明でも納得した感じになった方が親切というものです。主人公とヒロインが結婚の約束を貰おうと暗躍しますが、本人はゴジラに夢中で全然目もくれません。ヒロインのところでも書きましたが、本当は若き天才学者に気をかけていて、彼を養子にするつもりだったようですが、作中の時点では「最近はなにをやってるんだ?」という程度にまで関係が離れてしまっています。研究には夢中だが、人間関係には疎いという典型的な学者という描かれ方をしており、主人公とヒロインが仲良くしているのも半ば黙認している感があるので(普通に主人公家にあがってますし)、もし主人公が作中下手に反論なんかしなければ自分が養子にしようとしていた学者のことも気にせず許可していたような気がするのですが、どうでしょう?
 最後に、物語のある意味本当の主人公と言ってもいい若き天才科学者芹沢博士。酸素を研究する過程で海中の酸素を一瞬にして破壊し、生物を白骨化させるという超兵器オキシジェン・デストロイヤーを開発。これがゴジラに止めを刺します。片目に眼帯をしていますが、当時は戦争で負傷して体の一部を失った人なんか珍しくないので、別に中二設定でもなんでもなく、ちょっとかわいそうな人か、地下に引き篭もる原因を分かりやすくする程度の演出でそうなったのだと思います。自身の開発した大量破壊兵器が為政者に使われることを恐れ、頑なに使用を拒みますが、ヒロインの決断と、テレビから聞こえてきたゴジラに破壊された被災地に向けて歌われた鎮魂歌に心を揺さぶられ自らの命と研究を引き換えにゴジラを抹殺することを決断します(間に主人公との喧嘩を挟みますが、怪我をした以外あまり意味がなかったので……)。ヒロインとは幼馴染で、お兄さんのように慕われていましたが、研究を続け、狂気の破壊兵器を見つけた関係からか距離を置いていましたが、なにを思ったのか、ヒロインにその破壊兵器を見せて絶対に口外しないようにと告げます。思うに、主人公とヒロインの関係については気づきつつも(物語途中主人公とヒロインは芹沢博士にも自分達の関係のことを話すつもりでいた)、完全に割り切れていなかった結果じゃないかと思うのですが、それにしても少し唐突過ぎるように感じたので、この辺りの経緯も少しあるとよかったんじゃないかと個人的には思うのですが、娯楽怪獣映画でそこをあんまり突き詰めるとどうにもテンポが悪くなるので、仮に製作者がそう思ったとしてもわざわざ描かなかったのじゃないかと思われます。また、乙女の歌声で心変わりするのは当時としてもベターな流れですが、自身の命も投げ打つ覚悟までするのですから、もう少し気持ちの動きを知りたいものです。でも、これも現代人である私から見るとそう思えるのかもしれず、戦争で散々命を投げ打った身内が珍しくない時代では野暮かもしれません。
 他にもゴジラに両親を殺された後、恐らく山根博士の計らいで疎開してきた少年とか、芹沢博士に研究のことを聞こうとする新聞記者など準主要人物的な役どころがいますが、まぁ、物語の進行をスムーズにするための人材という感じです。
 ただ、とにかく、思いのほか人物関係が複雑だというのがこれを読んでわかるかと思います。怪獣映画がより児童向けになるに従って、物語の中で人の関係や気持ちの変化を描くことは控えられ、それゆえにこの作品の評価を一段と上げているのでしょう。


5、実はこういうことだったのじゃないのか?
 劇中で説明されるゴジラが「海生獣類から陸上に上がる課程の生物」という山根説が後のシリーズ作品できっぱり無視され元がティラノサウルス系の恐竜扱いになっているのはそれなりに有名なのですが、まあこれは語りつくされている感もありますし、所詮山根博士の予想ですからこれは多少変わっても問題ないかな、と個人的には思います。
それよりも気になったのは山根博士にゴジラの殺害方法を聞くシーンで「それは無理です。水爆の放射能を受けても生きているのに、今ある方法でどうやって殺せますか」といった感じのことをいうのですが、これってつまりゴジラさん元々から”別に核爆発なくても普通に通常兵器が聞かないくらいに強い”のじゃないのですかね?後のシリーズでは(特に84年版以降は)核爆発のエネルギーを受けてそこにいた古代の巨竜が突然変異してゴジラになった…という説明がされ、核をエネルギーにしていることが強調されるのですが、初代に於いては被爆して体中に放射性物質をくっつけていますが、普通に魚や牛や豚を食べているようですし、口から吐く”白熱光”が核エネルギーっぽい?と見る以外は、特に何か核の力で大幅に変化したという描写も説明もないのですよね。「核の申し子」というのも水爆実験で住処を追われたと説明した山根博士の言を聞いた議員が述べたものなので、基本的に自然界に大昔からいたとんでもないものが出てきちゃった、という認識なのだろうと思います。
なので、後のシリーズでもなにかにつけて”核”と結び付けられちゃうゴジラさんですし、それは必ずしも間違ってもいないのですが、映画で描かれている内容を見る限りだと、「人の知らないとんでもないものが自然界には存在していて、下手に調子こいて手をだすととんでもないことになるよ」というもっとシンプルな考えで作られており、それが必ずしも”核”であるとは限らないことも描写しているのではないですかね。
そもそも、核エネルギーだって元から自然界に存在するものであって、人間がたまたま発見してそれを利用しただけのことです。そして、劇中最終的にゴジラを葬ることになる超兵器オキシジェン・デストロイヤーも芹沢博士がただ酸素を研究しようとしていて偶然見つけちゃったもので、「人間は弱い~これを為政者が使ったらどうなるか」という恐れがあるからこそ全研究資料を抹消して自らもゴジラと運命を共にします。
だから、厳密にはこの映画、反核も反戦色も思われているより薄く(体験者である製作者たちにそれがないとは言い切れませんが)、自然に隠されている物への畏怖とそれを自分に都合よく利用しようとしてどんどん崩壊へ突き進んじゃう人間、という根っこの部分に対するところが物語の肝なのでしょう。
他方、じゃあ核という自然界のとんでもないエネルギーを見つけて利用しちゃった人間はどうすりゃいいのか?というのは明確に映画では描かれていません。一応、ゴジラと芹沢博士の死後、山根博士が「核実験が続けられるならまたゴジラと同じような物が現れるだろう」と警告とも取れる台詞で終わるのでこれから反核・反戦だと見ることもできなくはないのですが、この山根博士も別に”余計なものに手を出して怪我しないようにしよう”という人ではなく、どっちかというと古生物学者として「ゴジラの生命力を研究し解明することが第一義」という人で、その主張もゴジラが東京を焼け野原にしたり芹沢博士が死んだりすることで思い直し撤回したという明確な描写はありませんから、いかに思いつめた表情をしていても「またゴジラが現れてくることを期待している」とも考えられるのですよね(ヒロインの娘恵美子曰く「お父様はどうかしてしまったのよ」<だけど多分最初から学者ってのはこんなもん)。しかも、山根博士は本作の続編である「ゴジラの逆襲」にも登場しますが、普通に専門家としてコメントしていますので……。まぁ、この解釈はいくらにも取れるので、これと言い切ることはできないのですけれど、この映画を反戦・反核で強調するにはちょっと不十分すぎるかなという気がします。
まだ、このブログを書いている時点で2014年アメリカ版ゴジラは未見なのですが、予告を見る限りどうもこの”自然界の人治を超絶した存在”として描かれるようなので、恐らくは監督始め製作者はこの初代の内容を相当に研究して反映している可能性が大いにあります。どっちかというとメディアでは物語の装飾に近い核や戦争にひたすら拘っちゃう傾向にある中で海外のマニア恐るべしといった感じです。私は昨日今日でひょっこり気づいただけですが、彼らは何年も前からしっかり研究して作っていることが予想できますし、ものすごく今から期待しているところです。
余談ですが、96年のエメリッヒ版はイグアナと恐竜のミックスデザインだったり、マグロを食べていたり、火を申し訳程度に吐い(ているように見え)たことがさんざん言われますが、デザインなんて日本でも派手に変わりまくりですし、実は普通に初代も魚・牛・豚を食べていて核をエネルギーとすることが明確な描写になったのは後付でしかなく、昭和時代は初代を除けば火を吐くシーンが実は結構少ない上に大して火力もなかったりするので、あまり問題じゃなかったりします。むしろ問題なのは、最低限ゴジラは(核のエネルギーで大なり小なり変異をするにしても)最初から人間の手にはなかなか負えない力を持った未知の巨大生物であり、既存動物の巨大化ミュータントとしてとらえるものではないってことなのじゃないですかね。日本でもその考えはありますし、私もかつて勘違いしていたことがあるのでその点では厳しくは言えませんが、なによりの失敗原因はそこであると思います。

6.その他気になったこととか
 ちなみにちょっと気になったのが、この映画、”怪獣”って言葉は序盤に少しでてくるのですが、ゴジラ登場後以降大体の人は主演の宝田明さん含め”あの怪物”って言っているのですよね。まだまだ怪獣という言葉がジャンルとして成立していなかったゆえかなと思いました。
 あと、子供の時にはあまり気にならなかったのですが、ゴジラに撃沈された船の家族が救助隊本部に詰めかけて戦闘に立って声を張り上げるのは女性達で、ゴジラの情報を秘匿しようとする議員に噛み付いて全部公開しろというのは女性議員で、そして、なによりゴジラ抹殺兵器の使用を真っ先に決断して動くのは他でもないヒロインの女性なんですよね。

6、終わりにと、今後のこと
 明らかに夏休みシーズンに合わせた意図的な公開遅れですが、個人的には初代デジタルリマスター公開はすごくよかったと思います。1000円ぽっきりで見られるというのも懐事情の厳しい中では魅力的でしたしね。
 今回分かったのは過去の名作のデジタルリマスターは思った以上に良い、ということ。今までにもデジタルリマスター版はいくつか見たことはあるのですが、今回が一番その効果を感じました。
フィルムそのものも貴重で価値があるとは思いますが、やはり、どうしても劣化してしまうのを見るのは忍びなく、全く同じではないが公開当時に近い映像に戻すというのはこれからクラシックな映画に触れようとする人達にとっても入りやすい窓口になるだろうと思うのです。
 特に夜のシーンが多かったりする場合は暗くてよくわからない映画はありますから、商売的には人気のものをまず重点的にリマスターするのはわかっていても、そういう”暗かった”映画ほどよりピックアップしてリマスターしていったほうがいいんじゃないかと個人的に思いました。
 さらには、既に見た作品でも改めて見るとかつてとは思うところが違ったり、別の視点から気がついたりすることがあります。これはとても嬉しい出来事でしたね。
 ですので、これからもリマスター版、機会があれば見ていきたいですね。




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  1. 2014/06/26(木) 00:47:42|
  2. 偏りに偏った趣味のお話
  3. | トラックバック:0
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