The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

震洋について調べたことをつらつらと

WW2英雄列伝クニスペルの体験版までの作業に一区切りがついたので、日本戦争ゲーム開発さんより12月24日頃公開される特攻シリーズの最新作「震洋シュミレーター」のための3Dモデルなんぞを作っていました。
今回は3Dモデルを製作する中で震洋について調べたこと、特に震洋の各型の特徴を中心に書いていきます。
shinyo_b1.jpg
こちらがそのモデルになります。ダウンロードはこちらから>http://3d.nicovideo.jp/works/td17676
モデルそのものは非常にシンプルなのですが、製作に当たっての難関は資料が限られていることで、また巷にある書籍やインターネットのサイトで震洋を再現したとする模型や図にもかなりの間違いがあることがわかり、色々と当たりつつ可能な限り史実の姿に近いものを作りました。
この画像の震洋一型は唯一現存するものがオーストラリアの博物館に展示されており、写真資料が豊富なので一番正確だと思われます。
この一型の中でも初期型を再現しているのですが、特徴としてまだ量産性を考慮していないせいか非常に丸みを帯びた上部構造物を持っており、戦争末期とはいえ比較的凝った作りをしていることです。
爆弾は300kgを搭載、最大速度は23ノット。エンジンはトヨタ又は日産製のトラックのものを流用していたようですが、実際には同じような馬力のエンジン(70馬力)であれば手当たり次第搭載したようで、現存する震洋にもシボレーのエンジンが積まれていたそうです。
余談ですが、この現存する震洋121号艇はフィリピンのミンダナオ島に配備されていたのですが、戦後水上スキーを引っ張るレジャーボートとして使われていたのだとか。
一型初期は爆弾が大きいのですが、とにかくバランスが悪かったのと出力不足に悩まされていたそうで、すぐに改良型の製作が始まります。
ただ、調子が良くても23ノットはせいぜい40km/hそこそこですから乗用車が通常道路を走る程度の速度で敵艦に体当たりしようとするのは無謀の極みで、夜間に複数の船に分かれて奇襲をかけるというのが基本戦法でした。
問題は山済みとはわかっていても末期の日本の状況から多数が投入され、多くの犠牲を出しています。

shinyo2hikaku.jpg
さて、その一型を改良したものは一型改一と呼ばれています(画像右が一型改一、左が一型初期もしくは試作)。
こちらは現存するものがなく、写真資料も限られているのですが、幸いにも設計図が残っているのでモデルとしてはそこそこに再現可能なものでした。
shinyo_bp9.png
特徴としては一型の途中から行われていた船体構造を直線にすることを基本として生産性を高めるようにしたことと、バランスの関係から船体を短くして爆弾の搭載量を250kgに減らしたことです(1型の初期型も試作途中から搭載爆薬は250kgにした模様)。
また、一型は後期から敵艦船の機銃を破壊するためのロサ弾(いわゆるロケット弾)を装備するようになります。
ただ、揺れるボートの上で操作をして、まともな照準も付いていないため、命中する可能性はほとんどなかったのではないかと推測されます。
エンジンは一型より馬力が落ちて67馬力となっていますが、小型化のおかげか速度は同じ23ノットとなっています。

また、この一型改一に衝突用ガードを装備したものを一型改四と表記する資料もあります。
Shinyo_Type1_Mod4.jpg
このガード装備以外に何か変更はあったのか、電話線のようなものを張っているが、これは指揮官用なのかといった細かいことはわかりません。
一型改二と改三がなく、突然番号が四と飛んでいますが、この理由が明記された資料は見当たりませんでした。

8482298f.jpg
続いて、震洋二型です。
一型の最大の弱点である速度の遅さを解消するべくハイドロフォイル、すなわち水中翼を採用し、高速化を狙ったものです。
これにより一型改一と同じ67馬力でありながら30ノットの速力を実現しました。
しかし、実験の結果、実用に足らないと判断されて試作で終わり、実戦には参加していません。

shinyo5gata.png
続いて震洋五型です。
なぜか、三型と四型はその存在が確認できる資料が見当たらず、突然番号が飛んでいます。
一型の改良中に既に建造されていたようで、船体を拡大し、エンジンを2つ積んでスクリューと舵も2つ付け、操縦席も2人乗りになりました。武装は引き続き250kg爆弾と後部に装備したロサ弾、そして操縦席の前方に13mm機銃を付けたらしく再現模型や図ではついているものが多いのですが、写真や当時の設計図として残っているものは見つかりませんでした。
総合馬力が倍になったことで、約30ノットを出すことに成功しますが、資料によってはこの30ノットは継続的に出せるものではなく負荷をかけたほんの僅かな間しか出せないようです。
一型艇に比べると性能は良いのですが生産数も少なく、作戦行動できたものはさらにほんの一部に留まります。
資料は僅かに残る写真資料しかなく、船体の一部(特に操縦席周り)は推測で作っています。
Shinyo_Type5.jpg
この写真では衝突物突破用のガードが付いていませんが、他のいくつかの写真では装備しており、再現図にも描かれているものが多いためこの時点では外していたのだろうと解釈しモデルには採用しています。
中央のエンジンルームの上についているのは恐らく防水キャンパスなのではないかと思うのですが、形状は写真によって見え方が違うので、これも影の付き方から想像して作っています。
なお、震洋には後期には通信機が装備されているのですが、基本的に隊長の乗る艇以外は受信のみだったということです。

Shinyo Boats Types 6-7
次は震洋六型と七型です。
六型は一応写真は残っているのですが、以下のように大破した物しかなく、全容は不明でした。
Shinyo_Type6.jpg
七型はまともな写真すらなく米軍が書いたメモ書きの図面のみでしか姿を知ることができません。
どちらも、ロケットを使って超高速を得、体当たりを成功させようという同じコンセプトですが、搭載するロケットの種類が主に異なります。
六型は呂号ロケットを装備、二種類の船体が建造され、その一型で100ノット、二型で70ノットの達成を目指したものです。
一型は実験で50ノットまで達成しますが、推進ガスが漏れ出して火災を起こし沈没。
二型も波の影響で横転して大破してしまったそうです。
一方の七型は火薬ロケット装備で、こちらは70ノット達成を目論見ますが、実験で60ノットまで速度を上げたところで波の中に突っ込んで行ったとのこと。
結果として、超高速特攻艇はあまりにも危険であるということで不採用となってしまいました。

Shinyo Boat Type 8
震洋の最後の型はこの八型です。
資料がほとんどないのですが、分かっている範囲では船体を拡大した重武装型と呼べるものになる予定だったようです。
エンジンは3基。船体の左右には魚雷を積みます。船体後部にはロサ弾を装備。ただし、他の型にあるような前部に体当たり用の爆弾を積んでいないため、いわゆる体当たり自爆の特攻艇というよりは魚雷を至近距離で打ち込むことを目的にしていたのではないかと思われます。その意味ではロケット砲付き魚雷艇といったほうがしっくりきます。
しかし、エンジンを三基積んだにも関わらず、魚雷2本は重すぎたのか速度は22ノットしか出ません。
米軍の魚雷艇が40ノットを出していることを考えると実用になったとはとても思えません。
とはいえ米軍の魚雷艇PTボートは船体が倍以上大きく、航空機用の大馬力エンジンを積んでいるので、所詮自動車用のエンジンを流用している小型ボートの震洋とは比べ物にならないのですが…。



<参考資料>
陸海軍水上特攻部隊全史―マルレと震洋、開発と戦いの記録陸海軍水上特攻部隊全史―マルレと震洋、開発と戦いの記録
(2013/08)
奥本 剛

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陸海軍の特攻艇を扱った部隊記録集。
図面等の貴重な史料が付いていおり、各型の比較図なども貴重。
ただ、部隊記録は米軍との照合がなく、「駆逐艦撃沈」といった誤認も注釈なしにそのまま載っているのでこれを資料として使う場合は注意が必要。

日本特攻艇戦史 (光人社NF文庫)日本特攻艇戦史 (光人社NF文庫)
(2014/10/31)
木俣 滋郎

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海軍震洋と陸軍マルレを扱った本ではこれを読んでおけばまず間違いはないと思われる一冊。
戦果についても米軍の記録と照合し、正確に記載している。

海軍水上特攻隊 震洋―三浦市松輪にあった第五十六震洋隊岩館部隊の記録海軍水上特攻隊 震洋―三浦市松輪にあった第五十六震洋隊岩館部隊の記録
(2004/06)
第五十六震洋隊隊員有志

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テーマ:太平洋戦争 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2014/12/17(水) 01:58:58|
  2. 軍事
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  4. | コメント:4
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コメント

はじめまして

こんばんは!私は大分で人間魚雷回天と大神基地を調べていますJARINといいます。
日本戦争ゲーム開発様より震洋のゲームを作られたと聞いて共同開発されたこちらのサイトにもお邪魔させていただきました。
さっそくプレイさせていただきましたが、リアルに再現されててとても面白かったです!

戦車は自分も好きですが、あまり詳しくなく…。
でも読み応えのある記事ばかりですね!

震洋の資料は米軍のものしかなく一型の詳細図は見たことなかったので、正直、感動しています。
また来させていただきます。よろしくお願いいたします!
  1. 2015/01/20(火) 01:24:20 |
  2. URL |
  3. JARIN #-
  4. [ 編集]

>JARINさん

はじめまして、書き込みありがとうございます。
震洋シュミレーターですが、船体再現のモデリングを私がやり、物理挙動とゲームプログラムを武藤さんが、資料は二人で集めたという感じですね。
楽しんでいただけて私もうれしいです。

確かに震洋の資料が限られるので苦労しましたね。
一型改一の詳細図はより詳しく多くの種類が「陸海軍水上特攻部隊全史―マルレと震洋、開発と戦いの記録」にあるのでお勧めです。
ただ、この図も実物写真と比較すると結構細部に差異があって、現場調整している可能性が多分にあります。
また、この本では日本軍の戦果記録を無検証のままに記載していたりするので米軍記録にない「敵駆逐艦撃沈」とか出てくる辺りは注意する必要があります。

URL見てみたのですが、大変興味深いですね。
こちらこそ、そちらのHPにもお邪魔しに行きますね。
よろしくお願いします。
  1. 2015/01/22(木) 14:36:01 |
  2. URL |
  3. saizwong #b5INBCew
  4. [ 編集]

小笠原母島の西浦にあった震洋は1型でも5型でもない、もっと細くて小さい一人乗りだったと、当時特設警備隊で、義勇隊に残留させられた少年軍属の人が、言ってました。1回も出撃しなかったとか。この島民軍属18歳は防空監視哨員として他の島民達と勤務していたときに見た、と言ってますが、どうでしょう。そういうマルヨンはあったんでしょうか。
  1. 2015/02/05(木) 23:23:04 |
  2. URL |
  3. ogasawaraみどり #-
  4. [ 編集]

>ogasawaraみどりさん

はじめまして。
質問ありがとうございます。
小笠原母島の西浦には第3震洋隊が55隻の1型を装備して配備されたという記録があります。
もし、1型改1であれば1型よりかなり小型化しており、証言と一致するかもしれません。
しかし、別の記録にない部隊だった可能性、改1以外の記録にない改2もしくは3がより小型化されていた可能性、も否定できないので真相は不明ですね。
小笠原の震洋は終戦日に事故で大半が基地の中に埋まってしまい、かろうじて残ったものも爆破か海没処分にしてしまっています。
改めて探せば真実が見つかるかもしれませんけれど難しいですね…。
  1. 2015/02/16(月) 08:37:58 |
  2. URL |
  3. saizwong #-
  4. [ 編集]

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