The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

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文章エラーの現実と管理のお話

今回のお話は人間なら誰しもがするミスのお話。
ミスは誰しもの悩みであり様々な障害を起こすものですがどう対処すればいいのか、ということについて、特にここでは文章におけるエラーについて書いていきます。

私の仕事上、大量の公開文章を取り扱うことになるのですが、この中で必ずエラーレポートを作成することになっています。
例えば、送られてきた文章の中に何らかのミスが含まれている場合、その内容を記録しておき、明確な間違いであれば修正しますが、なんとも言い難い場合は報告に留めて提出する必要があるからです。
では、そのレポートはどのくらいの率で存在するのでしょうか?
この書類は大雑把に月1000件、1件辺り800字~1000字程度、400字の原稿用紙にして2~3枚分、というものなのですが、10件に1件はエラーが報告される、というのが平均的な数字として出ています。
これはつまり、10000字程度を書けば、それなりに学のある人が丁寧に書いてもエラーが発生すると考えてよいと思います。
一般的な卒業論文は10万字程度といいますから、そうするとどんなに丁寧に書いても他者による校正を入れない限りはその中には10個程度は間違いがある、ということです。
意外と多いな、と思われるのではないでしょうか。
それでもある程度文章レベルの高い人がテンプレートに沿いつつ書いている前提ですから、これが一般のレベルになれば大体半分の5000字書く毎に1件のミスが発生すると見込んでよいのではないかと個人的には思います。
5000字は原稿用紙約10数枚分です。他人がやるならともかく自分で書いているのを想像すると、連続してやるには集中力的にちょっと厳しくなってきそうな感じですね。

さて、とはいえこれはざっくりとした統計判断であり、レポートに報告されなかったエラーや実はチェックをした人の勘違いでエラーではなかった場合も多分にあって前後はするのですが、管理上の一つの目安にはしやすいと思います。
これだけのエラーが出る前提として、進行のスケジュールなりを組めば大体終了予定日/時間までにそれなりの品を完成させることができる、と考えることができるのです。
文章を完成させる際にはまずそれを作成する人達がおり、その人達の文章を校正する人達が作成者の約1/3~1/2ほどおり、最終チェックと管理者を置いて、大体80%~90%の精度の文章ができると見込んでいるわけです。ですが、正直なところ、これはかなりざっくりとしているうえに都合よく見積もった数字であり、個々人のスキルにも依存するところが大きい上、この工程により複雑なプロセスを組み、失敗した場合のケアやトラブル回避などのリスクマネージメントも含めないと公開する文章というのを作るのは難しいということになります。

当たり前ですが、エラーはないほうが良いです。
本人が丁寧にやっていればなくすことも不可能ではありません。
しかし、大量の文章を処理していく必要が出てくると、逆にエラーをなくすために個々人の人間力ばかりに頼るのはあまり現実的な話ではなくなってきます。
では、機械でやればいいのではないか、とは言われますが、「文章を考えて作成する」という部分においてはいかなる未来においても人に頼らなくてはいけないと思います。
逆に機械で出来る単純な文章の羅列などが代替されたため、同じ文章でも機械で作成した部分と人間の作成した部分の差が顕著に見えてくるようになり、この差を埋めるためのより効果的な措置が求められてきている、と感じます。
ようするに昔であれば「丁寧にやれ」「プロなら当たり前」で済んでいた話が、より組織的に、包括的に人のエラーを分析して対処することが必要になってきている、ということになります。
当然、中で仕事する人は丁寧に行うのが当たり前ですし文章を扱うプロです。しかし、だからといってその言葉だけで仕事が成り立つことはない、ということになります。
とりわけ、機械よりも人は努力すれば高い精度を出せる、という風潮はまだ広く残っていますので、冷静にちょっと考えれば実際にはそんなことはないにしても顧客から求められる条件としては過去よりも厳しくなっていると考えてよいでしょう。ちょっと前までであれば、文章は全て人の手のみで作り上げる物でしたから、管理する方法としても個人にちゃんとやるようにとプレッシャーをかけるぐらいしか考えなくてよかったです。
違う言葉で言い換えると、具体的にそのエラーの様子が可視化及びデータ化されたことと、かつては人が努力すれば綺麗な文章ができていたという神話が混ざることによって、現在の公開文章を作成する作業に対する要求レベルが高くなったのです。

では、この現状に対してどのように対処していくのでしょうか。
まず1つ目は校正者を使うことです。一見信頼に置けそうですが、ところがこれには大きな難点があります。
それは所詮校正者も人間だということです。人間であるゆえに間違いは起こします。間違いだと思って直した部分が実は正しかったなどというのはしょっちゅう起きています。それでも校正しないよりはずっとまともな文章ができあがります。しかし、何人も増やすことが必ずしも精度を高めることではないのもまた事実ですし、なにより機械の作業はやればやるほどコストが低くなりますが、人の手間は安くするわけにはいかないというのもネックです。人の手による正確性を信じている人ほど特にこの手段を希望しますが、思っているほど精度がよくないことと、割と高くついてしまうということで齟齬が起きることが多々あります。

次に作成者、校正者を教育することです。
ところが、意外かもしれませんが、きちんとやっていく具体的な教育というのはまだ存在していなかったりします。
プレッシャーをかけて集中させ、何度もやらせ、責任を負わせる、というのはあるのですが、どうすれば効率的にエラーを減らせるかといういわゆる方法を教える根本的な教育は存在していません。
これはエラーを分析して、どのような思考方法をしたのか、という発生源の特定、パターンの分析の上に成り立ちます。
数々の書籍や研究もおこなわれていますが、個々の状況が異なることもあって、まだまだ道半ばと考えてよいでしょう。
会社によっては社内にこういったノウハウが蓄積されていることがあります。ただし、それはもっとも重要な企業の内部情報でもあったりしますので、なかなか外部に公開されることはありません。
もし、見ることができればかなりの幸運ですし、大切にしていくほうが良いでしょう。

最後は支援ツールの使用です。
これは機械的に単語や文章を作るのではなく、作成者ないし校正者に文章の参考となるものを常に確認できるような環境を提供することでエラーを防ぐ手法です。
この意味ではインターネットも十分に支援ツールと考えることができ、実際、ネット環境のあるなしで文章を作る環境は大幅に改善したと思います。
ただし、デメリットも当然存在しており、その最たるものとして”正しいかどうかを最終的に判断するのはその人自身”ということに尽きると思います。
正しい情報であっても、それがこの場面で使うべきものなのか、実は例外として通常は問題ないが文脈や話の流れとして間違っていることにはならないか、という点には注意が必要です。
そして、ツール自体が必ずしも業務において最適化されているわけではありません。それは例えばネットで検索をかけても不必要な情報が乱立してしまうように、本当に必要な情報を素早く手に入れるにはツール側の機能向上とそしてそれを使う人間の知識が必要になってきます。前者は技術的な面で解決できますが、後者はまた新たに作成者・校正者の教育が必要で……と手間と時間、そしてコストが増大しかねません。そのため、支援ツールの検討と選定は入念に行わなければならないのです。

とどのつまり、現状に対して考えうる方法3点はまだまだ発展途上にあると言わざるを得ません。
そして、そうこうしている間にエラーのない文章への要求はどんどん増大していっている、と思っていいでしょう。
現場としてはある程度予算があるのであれば解決策3点をハイブリッド的に運用し、そのバランスを調整しているというのが現状だと思います。
これで予算がなければどこかの部分を削除せざるを得ません。
そして、予算があっても完全にエラーが無い、というのを実現するのはどちらにしても困難なので、結局、どこかで予算と質の折り合いをつけようとするのは予算の多寡では変わらない、ということになります。
間違いは文章の中に必ず残ってしまう、と読み替えてしまってもよいでしょう。

では、究極的にはどうするかというと、”ある程度エラーがあることは見込んで、エラーが発覚してしまったら素早く対応できる謝罪や修正方法を整備しておく”ということになります。
間違いのある文章を見る側からしてみるとたまったものではないとは思いますが、それが膨大でない限りはある程度寛容な態度でいる、という習慣作りも必要でしょう。
それこそ、自分もエラーを起こさないとは限らないわけですから、お互いさまの精神こそが最終的にどれだけ人や機械の技術が進歩しても求められるのではないでしょうか。
今の社会ですと、とにかく間違いをする側にばかり強烈なプレッシャーがかかります。
確かに何度も間違える場合は、一声なくてはいけません。しかし、それを常に許さない態度は問題である事でしょう。
むしろ、そこを重視するあまりに余計に間違いがなくならない、といった事態も考えられはしないでしょうか。
人は追い詰められると底力をだして正解を選ぶ可能性もむしろ耐え切れずに間違いを選ぶ可能性も同時に持っているのですから。

適度なプレッシャーと地道な改善への努力。結局、ここに集結するのではないかと私は思っています。

なお、この記事にエラーがあった場合はご遠慮なくお知らせください。






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  1. 2015/10/06(火) 20:07:54|
  2. ちょっと硬めな勉強のお話
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