The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

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開発計画年表を中心に見るドイツ戦車の歴史(前編)

 諸事情により、戦車関連の資料が溜まってきたので整理も兼ねて記事を書いてみます。
 国と時代で色々な種類があり、~は~の時代のものだから……とついイメージで語ってしまいがちな戦車計画。
 各所で時期については割と書いてあるのですが、実はあまり確認されないで語られるのは……理由はあるんでしょうが、せっかくなので計画開始情報も含めて図で並行・まとめてすぐ見れるようにしたら便利ではないか、と思って作ってみました。
ドイツ戦車開発

 全く特別な資料なんか使っていないのですが、こうやってまとめてみると、それっぽく聞こえる話もすぐにおや?と気がつけるので面白いです。架空戦記等創作の元にもできるかもしれません。
 例えば、ナチスドイツ政権が誕生する前に既にソ連と通じて戦車開発をしていたのは事実ですが、発足前のドイツにあるのはグロストラクトーアとライヒトラクトーア、そして、I号戦車が農業トラクターの名称で開発が開始したばかりという状態です。ここから、NbFs(ノイバウファールツォイク)、新型戦車(後のIII号戦車)、中トラクター(後のIV号戦車)と一気に種類を増やしたのはナチス政権下になってからと言えます。再軍備宣言後には重戦車計画も加わるので更に大きくなる感じですね。
また、主力対戦車用のIII号と歩兵支援用のIV号に分けたのはイギリスの巡航戦車/歩兵戦車の影響……といわれることがありますが、イギリスで実際に巡航/歩兵戦車の区分けができるのは1936年からで、その2年も前にIII号とIV号の元になる開発は既に始まっているのと、イギリス最初の巡航/歩兵戦車とほぼ同時並行で開発と生産が進んでいるので、影響があるのだとしたら、1933年までに開発されているソ連のBT戦車とT-35等多砲塔戦車もしくはフランスの騎兵/重戦車の組み合わせではないかというのが妥当じゃないかという風に思えてきます。
ソ連のドイツ戦車開発への影響というのは思いのほか無視されがちで、1924年にカマ戦車学校を設立してから実験はナチス政権の誕生する1933年までソ連国内で可能でした。この間にソ連が作ったのはT-26軽戦車、T-35多砲塔戦車、BT快速戦車というラインナップであり、もしこれらの情報が伝わっているのであればナチス政権下での計画に影響したことは想像に難くないでしょう。
 フランス戦車の影響というのも存外に無視されがちですが、ティーガー戦車に繋がる重突破戦車の構想は1935年3月、この2か月前の1月にシャールB1が生産開始されているのには注目したいです。30tという重量設定もちょうどB1と同じですので、状況としてはなかなか良い感じに合います。極東に目を移してみますと、そのシャールB1とほぼ同時期に八九式中戦車の試作が完成しています。この時点ではドイツはI号戦車の計画すらはじまっていないので、歴史の中で一瞬ですが日本はドイツよりも戦車開発で先に進んでいたのだなあ、としみじみ。逆に古い時代に作られたと擁護したくなる九七式中戦車チハの試作車完成はIII号とIV号より遅れます。初期型の性能においては優っている…のは当然で試作完成時点で比べると1年ぐらい世代が違います。これで最後まで対戦車戦闘性能及び改造型の一式砲戦車生産共々ご存知の有様でしたから、もう結果がああだったのは時代が云々とか言わずに「力を入れなかったから」と言い切った方が楽でいいんじゃないかと思えてきますね。一式砲戦車の遅れっぷりは他の対戦車に使える戦車改造自走砲達の中でも飛びぬけていますが、先駆者ともいえるIII号突撃砲の開発は早すぎると思えるぐらいに早く、III号の試作テストをしている頃には既に試作車両ができています。予想される相手であるフランスが固い要塞や戦車を持っていたりするので急ぐのも当然といえば当然か。それでも後の活躍も考えるとファインプレーと言えるぐらいに好判断だと思います。
 最初の戦車開発国であり他国に当初は輸出しまくっていたイギリス戦車のドイツ戦車開発計画への影響はいわれるほど大きくないのみたいですが、最初の巡航戦車と歩兵戦車が生産を開始したその1年後にドイツはさっそくIII号とIV号を統合した新型戦車の計画を発足させます。III号もIV号も先行量産品を作ったばかりのこの時期に随分と決断が早いと思うのですが、もしこれがイギリスでの運用状況の情報を聞いた上だと考えると面白いですね。この統合計画はVK.20へ、先行していた30t級重突破戦車はDW1からDW2を経て同時期にVK.30計画となっています。そして、前者がパンターへ、後者がティーガーへ発展するわけです。ティーガーの方が登場は先なのになぜかVI号……というよりは大体同じ時期にV号、VI号の元になる計画番号が付与されていると考えるのがすっきりしていい感じです。いつ実戦に登場するかはあくまで開発状況によるので、これを基準にしてはいけません。ドイツ軍はI―II、III+IV、V+VI、VII+VIIIというセットで戦車開発計画を立てる傾向があり、つい戦車の登場時期を見るとおかしく感じてしまいますが、計画の流れで見ると番号的に変な入れ替わりは起きていません。なお、この2つの計画開始の2か月前にソ連ではKV-1の試作車が完成しています。早い、早いよ……、元々比較的他国に比べて先行していたのですが改めて赤軍の技術を侮ってはいけない、というか冬戦争なりでメタメタだったとはいえ、ここまでの流れだけで見てもソ連の戦車開発に関して侮る要素がなく、ドイツ上層部の思考にはちょっと変なバイアスがかかり過ぎでは?と思えてきます。この辺りはあのグデーリアンに馬鹿にされても仕方がないですね……。

まだ見ていて面白そうなポイントがいくつかあるので、それは次で語っていこうかと思いますよ。




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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017/03/31(金) 22:26:38|
  2. 軍事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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