The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

開発計画年表を中心に見るドイツ戦車の歴史(後編)

前編に引き続きドイツ戦車の開発年表を整理してちょっと違った視点で見ていこうというお話です。
前編では主に軽~中戦車の初期~中期頃について触れましたが、今回はやはり主力となった重戦車、そして憧れと嘲笑の混じった超重戦車などの大戦中盤~後半に向けての計画がどうだったのかを見ていきます。
整理してみると一般的にイメージしている様相とはまた別の側面が見えてくる…かも?
ドイツ戦車開発

さて、ドイツの重戦車と言えばやはりティーガー。これが開発されるまでの経緯は各所で多く語られていますが、T-34やKVに対抗する存在だったのか…というとなかなか難しいところだったりします。最近は詳しい人も増えたんですが、確かにVI号ティーガー戦車は元々も計画は30t級の突破戦車として1935年に既に計画を開始した物から繋がっています。ですので、この頃にはT-34やKVは影も形もありませんから、ティーガーの開発コンセプトそのものにソ連戦車の影響はありません。さらにその突破戦車に8.8cm砲を搭載する案自体もバルバロッサ以前に出されたものであり、さらにさらに8.8cmの長砲身型搭載案、これは後のティーガーIIへと繋がる提案なのですが、これ自体もバルバロッサの直前に提出されていますので、ティーガーIもIIもその装備はT-34とKVに遭遇した結果決められたものではございません。出現時期から考えると、ティーガーIどころかIIもというと意外に思われる方もいられるかもしれませんね。ただし、計画進行に影響が全くなかったかというとそれはまた違う話でして、1942年2月にひっそりとVK36.01計画が中止されているところが注目処。既にティーガーIの開発計画VK45.01が相当進んでおり、ティーガーIIの前身であるVK45.02すら3か月後に始まろうというときにまだVK36.01計画が残っていた、というのが不思議なのですが、これと同時期にはVK70.01(試作VII号戦車レーヴェ)、マウスに繋がる100t戦車計画案、III号長砲身搭載開始、パンターに繋がるVK30.02開始(直後にVK20.01の中止)、IV号戦車の長砲身型の生産開始というラインナップと重ねるとまた一端が見えてきます。つまり、これらの新型重戦車と中戦車のラインナップがあってVK36.01というティーガーの前身計画はその命を終えるのであり(8.8cm搭載案からここまで約1年程度時間があります)、T-34ショックがなければ、もといこれらの戦車とその新型車と戦い続ける将来がモスクワ戦で見えなければ、VK45.01いわゆるティーガーと共にVK36.01の採用された姿が現れた可能性もあるわけです。ようは広い意味でオリジナルに近いティーガー計画はT-34の出現とモスクワ戦の結果によって終わらざるを得なかったともいえます。戦況の推移は計画にも影響しており、身も蓋もないことを言ってしまえば、もしモスクワで勝てたならその後の対ソ連用新型兵器なんか作る必要はなかったのです。
では、このVK36.01の特に大きな中止の原因となったのはなにかといえばやはりVK70.01とマウスとなる100t戦車計画でしょう。T-34とKVという明らかに突出した戦車の存在から、これを更に上回る強力な戦車が43年には現れる可能性が高いとして計画されたもので、実際、その予想はある意味正しいといえば正しいのですが、若干遅れて登場したソ連重戦車は超重ではなく意外と軽量のIS-2だったというのがオチです。でも、意外と軽量にしても性能にしては凶悪でしたので、ティーガーIでもなかなか分が悪い相手。どちらにせよ新型戦車は作っておく必然性があります。こうした目で見るとレーヴェの要求仕様は決して的外れでないようにも思えてきます。確実にIS-2を葬ろうと考えるとこのぐらいの性能が必要になるだろうな…という感じです。ただ、レーヴェが不幸だったのはVK45.02計画が開始され、すぐに50t級程度では8.8cmの長砲身は収まらず70tを超えるだろうという試算が出されたことです。レーヴェは重と軽の両方が計画されたことが知られていますが、重の方は一説では90tを超えると考えられ、これではほぼマウスの100t計画に近づいてしまいます。だったら、マウスを作った方が…となるのは自明の理であり、割と計画がずるずると残りがちなドイツにしては素早く打ち切られてしまいます。結局、レーヴェの目指したロールはティーガーIIが引き継ぐことになり、これにレーヴェの搭載予定だった10.5cm砲を搭載する計画があがるのも単なる偶然ではありません。ティーガーIIはパンターII(試作止まり)との部品互換性を求められたゆえに姿が大きくIから変わっているのは知られていますが、性能・兵器としての用途としても同じ系統の戦車であるIとは異なることになり、重突破戦車であるマウスが全周カチカチのよりティーガーI的性格を持つのに対し、ティーガーIIが側面は割と薄いパンターとの間の性格を持たされたのは、その兵器が開発時点で既にドイツ軍で最も巨大で頑丈であり突破に使われる戦車ではなくなっていることが影響しています。また、ティーガーIとIIの並行生産が非常に長い(実質1年近くある)のもこの2つに求められた物が違うのだということを間接的に表しています。
もっともその重突破戦車的性格のマウス計画は知っての通り難航し、予定の43年半ばになっても試作車がようやく作られるというありさまで、更に100tどころかそれを大幅に超過する最終的には187tの怪物となってしまいました。こんな状況で計画されたのがE計画です。生産と性能の向上を行う統合計画として知られていますが、実際には軽~中のE10-25/中~重のE50-75/超重のE-100と3つに大きく分かれていて、3つそれぞれでの部品の互換性は限定的です。あくまで既存の戦車達と開発計画を整理しようという流れであり、E-100という計画が立った時点で実質マウス計画の命運は終わりに近くなり、試作車製作をアルケット社に投げ出して元凶であるポルシェとクルップには年末までに依頼中止が通達されます。ようするにE-100とは重量軽減型マウスであり、マウスの量産出現はE-100が出た時点で消滅したのです。しかし、その後も細々とアルケット社がE-100計画へのデータ取得のために組み立てと実験を行っているため非常に後世の我々にとってはわかりにくいことになっています。
E計画で一応でも車体ができていたのはE-100だけというのは逆に言えばマウスの計画がスライドしただけともいえ、他の車両にしてもE-50/75はティーガーIIの設計をほぼ使いまわすことが予想されており、E-10と25は突撃砲として統合したものです。ですが、E-10は38(t)駆逐戦車いわゆるヘッツァーの開発・生産が軌道に乗ることで消滅し、25のロールはIII号とIV号を統合する計画へと変転、ティーガーIIとパンターは各々改良発展型へ、E-100はヒトラーによって超重戦車計画自体が中止されます。E-計画というのはこうして各セクションで変形/瓦解するようにして消滅していった計画なのであり、ヘッツァー、III/IV号戦車、ティーガーII後期改良案、パンターFという存在/計画がある時点でE10-75が出現する可能性はなく、E-100は超重戦車そのものに現実味がないことから、”どんなに戦争が長引いたとしても決して成功しない”ものだといえるのだと思います。ドイツ軍秘密兵器ファンにとっては誠に残念なことではありますが…。

2回にわたって続けてきたシリーズでしたが、ここで書いた側面はあくまで大まかにそうとも考えられる、ということですので、より詳しい計画変転などは各種書籍や資料を見ていくのがいいかと思います。ゆえにつたない部分も多いとは思いますが、一般にざっくりと言われていることや変に期待してしまうような内容にちょっとでも疑問や違った着眼点を持つ一助になれば幸いです。





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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2017/05/10(水) 22:42:55|
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