The Wizard of Science

人類学のこと、歴史・考古学のこと、航空機のこと、特許のこと、海外の言語や書籍、などなど、たまには横道にそれたりする長文が多めなブログです。

新年のあいさつと軍縮と対金剛級戦艦に関するアメリカ戦艦建造計画のお話

かなり遅くもはや1月も終わろうとしていますが、明けましておめでとうございます。
本年も各方面にて元気に活動していきたいと思っていますので、よろしくおねがいいたします。
このブログに関しても毎年書いてますが、方向性を見失いつつも1月1回更新を維持してがんばっていきたいと思います。
適当な時にお付き合いいただきませ。

今年は去年で色々あった結果ものすごく久しぶり(6~7年ぶり?)に集中してRPGなんぞを作ることになり、またひっそりとゲーム制作支援用にEntyをはじめました。
https://enty.jp/saizwong
実際、製作用の資金はあらかじめ用意していたので(元々VWのリメイクは機を見て行うつもりでいました)、ここで支援がなくても進行そのものには支障はないのですが、ちょっとでもあるとやる気も違えばもっとクォリティをあげる可能性もあがるので、よろしくお願いいたします。


さて、今年一発目の話題はちょっとした戦艦のお話です。
別に新説というわけでもなく、普通に一般書籍を何冊かかじっただけの浅いものなうえに「まぁそうだろうね」という結論で終わってしまうものなんですが、あの戦争が始まる前にな~にを各国やっていたのかという一端を垣間見れて面白かったので、紹介したいと思います。なるべく一般向けに書こうと思うので、知ってる人には用語なり表現がもどかしい所もあるかと思いますが、ご容赦を。

第二次世界大戦が勃発する前の1930年代。既に色々ときな臭い状況にはあり、この時点でお互いの不信感は頂点に達してはいたのですが、それでも外交交渉は根強く続いていました。
なんとか戦争を避けるためにそもそもそれを行う武器を減らそうという軍縮会議も継続しています。ようするに、いきなり自分から武器を捨てることは難しいので、国同士で話し合ってある程度の割合を一緒に減らしていこうというものです。
海に囲まれた日本として重要なのは大量の大砲を搭載する巨大な鉄の船「戦艦」なわけですが、これも当然軍縮の対象として挙がっています。
既に軍国主義の国ではあったものの、日本はこの戦艦に関しては軍縮会議の開始後、新規造船は行わない方針となっていました(研究や計画は将来の危機に備えて続きますが)。
これは色々と理由があるものの、一番大きいのはやはり戦艦の建造にしろ保有にしろとんでもないお金と燃料がかかるので、資源に乏しい日本としてはアメリカやイギリスといったお金持ち国に追従して戦艦を作り保有し続けるには限界があるというのが目に見えていたということがあります。今と違って経済力もそこまで高くなければ恐慌後のごたごたで景気が良くないということも忘れてはいけないですね。
そのため、軍備を持つにしても、どちらかというと小型の船や航空機を重視することになる……のですが、当時のアメリカにしてもイギリスにしても経済問題を抱えているのは変わらないので、軍事予算を減らす目的から戦艦を減らすか作るにしてもそれほど大きくないものにし、小型艦と航空機で補おうという方向は割と似たようなものです。

この軍縮は1921年のワシントン軍縮会議で船の排水量(トン数)や大砲の大きさに制限が加わり、その後の1930年にロンドン軍縮会議にて各条件がより厳しくなって枠から外れた船は廃艦となり、そして1935年の第二次ロンドン海軍軍縮会議へと進んでいきます。
この第二次ロンドン軍縮会議なのですが、日本としてはアメリカとイギリスに対して同等の軍備を持つこと(これまでの会議では概ね対英米7割)、そのためには全ての戦艦だけでなく、航空機を大量に運用できる新鋭の兵器として期待されていた航空母艦を全廃するというのも視野に入れていたという話も伝わっていますが、どこまで本気だったかはなんともわかりません。私としては歴史の結果から見てみればそれもよかったんじゃないかと思うのですが、国内の軍人にはかなりこの軍縮事態に反発する人も多かったらしいので難しかったのではないかとも想像します。
ともかく、日本としては軍備を縮小しつつ最大限英米との対等を実現することに固執しますが、これには英米はかなり眉を顰めます。基本的に日本は自国より少ない、これまで通りの7割程度を維持することを本会議前の予備交渉時点で要求しています。
どうにかこれまで続いてきた軍縮交渉もこの日本の固執から破たんする可能性が見えてきてしまいました。

この時、アメリカでは新型の戦艦ノースカロライナ級の建造計画が進んでいたのですが、この軍縮条約の結果が直接影響するため非常に迷います。この戦艦の建造の方針は大きく2つ。1つは既に日本は戦艦を新規で建造することはないものの、どうも今持っている古い戦艦達、特に高速を持つ金剛級戦艦、が強化改装が行われていることがわかったため、これに対抗すること(アメリカの戦艦はこれまで防御力を重視して20ノット前半しか出せない鈍足しかいませんでした)。もう一つは新たに登場した飛行機を運用する船、航空母艦に追随してこれを攻撃しようとする敵の船を撃退すること、でした。そのため、ノースカロライナ級には30ノットという巨大な戦艦としては高速が求められることになります。
さらに第二次ロンドン軍縮会議において、戦艦は主砲口径36cm砲までしか持てないことが概ね決まっていました。これまでの戦艦で最大の主砲口径は41cmでしたので、それよりも縮小することになったわけです。そのため、ノースカロライナ級も36cm砲装備として計画が進みます。41cm砲よりも36cm砲は小さく軽いので、1発当たりの威力は低く、それなら砲門数を増やそうと4連装砲塔にする計画も存在しました。実際、この条約が締結されるだろうと見込んで建造していたイギリスのキングジョージ5世級戦艦はこの36cm砲4連装砲塔を装備した戦艦として完成しており、若干遅れて進んでいた戦艦ノースカロライナの計画も同じような装備の戦艦として完成する…はずだったのですが、このわずかな遅れの時間の間に日本の固執から交渉が破綻する可能性が濃厚に見えてきたのです。

もし、日本との交渉が破綻したらどうなるのか?この場合、アメリカとイギリスの間でのみ軍縮条約が結ばれることになります。日本に配慮しなくていい分、英米は若干緩い条件で条約を結ぶことも考えていました。これは「エスカレーター条項」と呼ばれています。もし、エスカレーター条項が発動した場合、それまで36cm砲しか装備できない予定だった戦艦は41cm砲も装備できるようになり、船の大きさももっと大きくすることができます。

そんな紆余曲折の中、既に戦艦ノースカロライナの船体は船台の上で概ね組みあがっている状態でした。確かに計画の中に41cm砲を装備させた方がいいんじゃないか、という案はあったのですが、交渉は最後には締結できるだろうと予想している人も多く、36cm砲搭載案は根強く残っています。こんな状態から最終的に41cm砲搭載に推し進めたのは他でもないルーズベルト大統領の決断が大きかったと言われます。あまり他の国の首脳に比べて兵器開発に口出ししないようなイメージでしたが、やるときにはやるのかもしれません。この決定が出た時にはまだ正式に日本は脱退表明をしていなかったということで、歴史にifはありませんが、もし日本がすんでのところで第二次ロンドン軍縮会議に合意した場合、アメリカの新型戦艦が最悪廃艦になり、ルーズベルトにもいろいろと責任問題が発生していたことが考えられます。締結のデメリットは相変わらずの対英米7割維持と、数隻の戦艦の廃艦(戦艦大和も恐らく作るのは相当困難になります)、それ以外の艦艇の数と大きさの制限あたりですが、割と安いと思うのは私だけでしょうか……?
USS_North_Carolina_(BB-55)_underway_in_the_Gilbert_islands,_November_1943

さて、こうして半ば強引気味に41cm砲装備戦艦となったノースカロライナなのですが、短期間での変更は当然のように他へしわ寄せが来ます。36cm砲装備の予定だったところにより大きな砲を積むわけですから、当然重量が増します。その結果、速度は30ノットから28ノットで妥協。概ねできていた船体に装甲もそれほど施せず弱防御。仕方ないとはいえイマイチバランスの悪い戦艦として完成し、これには計画に携わっていた関係者が「当初の目的が捻じ曲げられて何がしたいのか良く分からない船になった……」とぼやいたという話が伝わります。
この経緯のため、日本も完全に脱退し、軍縮の縛りがなくなって戦争が始まることが濃厚になった時、アメリカはノースカロライナ級の改良型として同等の火力、同等の速力を持ちつつ防御力を改良したサウスダコタ級を計画。そして、金剛級をはじめとする自国より高速の日本の戦艦を圧倒でき、かつ空母の随伴も可能な本来の目的を達成し得る戦艦アイオワ級へと繋がっていくことになるのです。
一方、このようなアメリカ戦艦建造計画の流れの側で、広く知られているように日本は27-28ノットの速力を持ち、巨大な砲と重防御を誇る巨大戦艦大和の計画が進むことになるわけです。

第二次世界大戦の前には日本をはじめとする各国の果てしない軍事力増強があったというイメージがありますが、実際はどちらかというとどのように減らすのかという紆余曲折の交渉のもつれが響いています。
その結果、本当に欲しかったものではないものを持たざるを得なくなったりというのはあの巨大なアメリカであっても変わらないわけです。
若干端折り気味に書いてしまったので、もし詳しく正確に知りたい方は書籍を購入してみることをお勧めいたします。といっても大体は洋書になってしまいますが…。






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  1. 2017/01/28(土) 13:01:48|
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実は猿は話せる?口と喉の構造解析からわかる発声能力。

今年も随分と終わりに近づいてきました。今回の記事が今年の最後となると思います。

そんな終わりになって入ってきたニュースに「猿は実は話せるのに十分な構造を持っているんじゃないか」というなかなか面白いものがあったのでここでせっかくなので書いていきたいと思います。

http://www.sciencemag.org/news/2016/12/why-monkeys-can-t-talk-and-what-they-would-sound-if-they-could

さて、一般常識としてこの世界には話すことができる猿というのは存在しません。あくまでフィクションの中での存在です。
ですが、知能的にはある程度言語を理解することが知られています。例えば、チンパンジーが与えられたおもちゃを指示されたとおりに並べたり、また手話をある程度行えるということが知られています。これを行うには高度な言語理解力が必要だということから、彼らは教育によって言語を会得することができる素質が備わっているといえます。
ですが、そのチンパンジーが人間と”声を出して会話”することはできません。これに対するこれまでの学者の回答としては「猿は人間と違って二足歩行を常に行うわけではなく、その結果、口と喉の構造が人と大きく違っているため、発声できる音の種類に限界があり、人のようには会話することができない」というものでした。
これはそれなりに説明として説得力があり、原始の人類達がいつごろから私たちと同じように話せるかの指標として口の骨格や喉の構造を比較することで判明するのではないか、という研究が行われてきていました。

ですが、今回発表されたこの論文によりますと、猿の口や喉の構造においてそういった制約があるという証拠はない、ということなのです。
http://advances.sciencemag.org/content/2/12/e1600723.full

実はダーウィンが「猿が喋れない理由」を聞かれた際に「脳の問題」と答えたことがあるのですが、それは人間よりも脳容量の少ないチンパンジーでも言語を理解することがわかったあたりから懐疑的に見られていました。
それが、逆に今回の研究によって「やっぱり脳の問題なんじゃないか」と逆転する事態となっています。
こういう逆転に次ぐ逆転があるから、人類学の研究を追いかけるというのはなかなかやめられないものです。

もし、「脳の問題」であるということが事実であるならば、この研究を率いたフィッチ博士の言葉をそのまま引用すると原始人類達がいつ話し始めたのかを骨格から判断しようとすることは「全くの無駄だった」ということになります。
私が勉強始めたころはこの「口と喉の構造問題」という話はかなり広い共通認識をもって語られていたように思うので、それが全面的に書き換わるとなると実に面白いことです。

http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%81%8C%E8%A8%80%E8%91%89%E3%82%92%E8%A9%B1%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%84%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%AF%E3%80%81%E5%8F%A3%E3%82%84%E3%81%AE%E3%81%A9%E3%81%AE%E3%81%9B%E3%81%84%EF%BC%9F-%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%A8%E3%82%82%E8%84%B3%EF%BC%9F/ar-BBxo3qb

これを発見したやり方としてはアカゲザルの口と喉をX線で通して撮影した写真を様々な条件(声を出す、食べる、表情を変える等)を元にどれだけ動くかを解析してモデル化。そのモデルに実際の言葉をしゃべらせてみる、ということまでやったそうです。この記事を書いている時点では未確認ですが、上記の日本語記事によればウィーン大学のサイトには「Will you marry me(僕と結婚する?)」と猿のモデルが喋る声が聞けるそうです。興味がある人は探してみてはいかがでしょうか。

さて、この言語能力の話としてもう一つ過去に大きな発見として報じられたFOXP2遺伝子(英語ではフォックスピーツージーンと呼んでました)というものがあります。これは先天的な言語障害者には欠けていることがわかった遺伝子で、この存在がネアンデルタール人といった大昔の人類にも確認されたことからその言語能力を図る指標として注目されました。
ですが、上記のように口や喉の構造に言語発声能力が依存していると考えられていると、いくらFOXP2遺伝子があっても構造的に発声できないのではどうしようもないのではないか?というのが概ね主流の考え方でした。
これもフィッチ博士の言葉を借りれば「もっとFOXP2に関する研究を進めた方が有意義だ」ということになります。

あくまで予想でしかありませんが、言語発声に関する神経を発達させると考えられる遺伝子FOXP2を探れば、もしかするとこれまで考えられていたよりもかなり古い時代から(それこそアウストラロピテカス種といったこれまで言語能力がないと考えられていた種も)話すことができていたという発見があるかもしれません。

特に言語能力の発達は集団で細かい作業を行う際には必須だと考えられるため、石器の作成と発達に大いに貢献していると考えられます。最初期の石器であるオルドワン石器は初期の人類だけでなく、アウストラロピテカスも作成者として考えられており、この研究が進むことで言語だけでなく、人類の技術進化の歴史にもう一つ重要な光が点ることが考えられるのです。

とはいえ、まだまだこのX線とモデルを用いた研究方法にも反論なりある可能性があるため、全てを鵜呑みにして結論を急ぐのは尚早なのですが、新しいブレークスルーの可能性を秘めている以上、これからも注目していきたいと思っています。






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  1. 2016/12/22(木) 18:18:04|
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ラスコー展感想

前から楽しみにしていた上野国立科学博物館のラスコー展に行ってきたので、その感想を書いてみます。
ラスコーはフランスにある旧石器時代の洞窟で、当時この辺りに住んでいたクロマニヨン人達が描いた巨大で美しい動物等の壁画で有名になりました。
最も古い美術作品の1つと歴史的に貴重な存在であると同時にその数とクォリティは群を抜いていて、特に旧石器時代に興味がなくても純粋なアートとして楽しめます。
が、逆にその飛びぬけた良さが大量の観光客を呼び込み外部からの二酸化炭素等などが充満した結果、壁画が急激に劣化するという事態になってしまったので、現在は一部の研究者達や修復作業を行う人員以外は基本的に入ることはできなくなってしまっています。
その代わりとして精巧に作られたレプリカを洞窟の側に設置し、こちらを見ることができます。
今回のラスコー展も同様に最近の技術で作られた壁画の実物大レプリカを鑑賞することになります。
IMG_5323.jpg
「なんだ本物じゃないのか」と思う人もいるでしょうし、確かに本物が見れるに越したことはありませんが、実際問題、本職の研究者でも物によりますがレプリカないし本物から型取りしたキャストを使うことは珍しくないわけでして、更にそのレプリカないしキャストから更に複製した物を使うことも十分あり得ます。当然、本物に近いほど貴重品ですので、お値段が物凄いことになっていきます。大学等研究機関も予算には限度がありますので、第一キャスト(本物から直接型取りした物)を手に入れた際に研究室の先生方が飛び上がって喜んでいたりします。
ラスコー展は実物を極小単位で精密にスキャンしたうえで作成された物ですので、普通に考えてどえらい貴重品です。それが千円なんぼのお金を払うだけで見られるのですから、なんとも良い機会に恵まれたものだと感激しています。
IMG_5316.jpg
今回は壁画だけでなく、ラスコー洞窟内の構造を示した巨大な模式図なんかも置いてありました。
IMG_5314.jpg
ラスコー洞窟は結構大きくて地図で見る構造自体は割とシンプルですが、数百メートルの道のりと上下の段差がありますので、例えが悪いのですがRPGの序盤ダンジョンくらいの大きさはあります。それで壁面には多くの動物たちが描かれているのですから荘厳たる光景です。
IMG_5327.jpg
壁画を描いたとされるクロマニヨン人の頭骨。解説にある通りクロマニヨン自体はラスコーから20kmほど離れたところにあります。
特にラスコー洞窟の中でクロマニヨン人の遺体が見つかった、ということはありませんが、年代と周囲の関係から見て恐らく間違いはないだろうという感じです。
私も以前は割と勘違いしていたのですが、その時代名称である旧石器にしろ、人骨と一緒になっているのは割と稀で、大体近くでこのぐらい見つかっているから、その他の痕跡等を頼りに恐らくこの人達に近い人々が作ったんだろうと類推しているわけです。
その石器の展示もありましたが、こちらは撮影禁止だったので割愛。結構しっかりとアシューリアン(左右対処石器)から、ルヴァロア技法、それからブレード(石刃)生成法の解説がされていたのですが、簡単なビデオ解説があると分かり易かったかもしれません。私は以前この辺りは実際に石器を削る実演を見るまでさ~っぱりでしたので……。まぁ、こちらが展示の中心ではなく補助知識みたいなものなんですが、せっかく石器も綺麗に集めていたのと、全体にスペースに余裕がありそうだったのでつい期待してしまいますね。
そういえば、頭骨模型を並べて、ハイデルベルグ人>ネアンデルタール人>現生人類(クロマニヨン人)と辿ってきたという解説でしたが、ホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルグ人)ってネアンデルタール人の直接先祖だったっけ?とか若干、気になることも。
一応、ネアンデルタール人とクロマニヨン人が共存していた話はあるのですが、近年ではネアンデルタール人の遺伝子が現生人類に残っていることが分かったりしているので、この辺り旧人の関係は割とカオスな感じになってきているのですが、日本的にはまだまだ順番になっているほうが分かり易いのかなぁ、とか思ったりしました。
IMG_5321.jpg
さすがに絵の解説はしっかりビデオが用意されていて、この馬の絵は後ろにたくさんの馬が描かれた後に上書する形で描かれたらしくて、それがビジュアル的に見れるのは嬉しかったですね。
ここまで来ると考古学というより美術研究って趣になってくるので、いろんな知識が必要だと感じます。
それから、大型のタブレットで美術様式の解説も見れます。ポイントを押すとこういう様式で……というのが出てくるのですが、なんとなくインターフェースと操作感に慣れなかったです(汗……。

ラスコーの後は日本国内の石器の展示もあって、時代と場所もだいぶ違うのですが、欧州と日本の石器を双方で比較できます。あまり国内のものはちゃんと見てなかったので、黒曜石のブレードなんかはその大きさと精巧さに驚きました。これだけ大きく鋭利なものを大量に生産できるなら、そりゃわざわざ海を越えてでも取りに行くな、と。

そんなこんなで私自身は思った以上に楽しめた展示だったのですが、客層としてはいつもの特設展示に比べると若干少なめな感じでしたかね。旧石器時代というとまだまだあまりとっつきがないのかもしれません。とはいえ、ちょっと絵に興味があるレベルでも十分に楽しめるように配慮してあるとは思いますし、来年の2月頭までやってるみたいなので、これを読んで気になった方は足を運んでみてはいかがでしょうか。





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  1. 2016/11/29(火) 01:12:01|
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家庭においてご注意ありたき事

10月になって秋めいてきて欲しいところですが、まだまだ暑いですね。
今回はひょんなことから大正13年に配布された小学校の通信簿を見る機会があったのでその一部を紹介いたします。
大正13年は西暦に換算しますと1924年。第一次大戦と第二次大戦の間となる戦間期になり、まだ世界恐慌は起こっていないものの、世界は不穏な情勢にあり、その後の混乱の予兆となるものが起き始めている時期でもあります。
そんな時期、日本の小学生に向けてどのような教育が行われていたのか、その一端を垣間見ることができる1次資料として扱えるでしょう。
まず、1頁目には当然のように書かれている「明治天皇と照憲皇太后がどのようなお人だったのか」というもの。これを忘れては日本国民を名乗れませんね。
続いてあるのが江戸時代の高名な陽明学者中江藤樹先生のお言葉。「家をおこすも子孫なり、家をやぶるも子孫なり」というもの。この言葉はたまに聞きますが、ここまで取り上げられていたとは知りませなんだ。
そして、出てきました教育勅語です。正式には教育ニ関スル勅語というらしいのですが、ここでは単に”勅語”とだけ書かれています。これと戊申詔書を合わせて、珍思うに…から始まる日本人としてのありかたを示した道徳的文章を毎回授業の前には一斉に読み上げるのが日課だったとのこと。そのあとには御沙汰書が続いており、ありていに言えば「天皇陛下が仰っていらっしゃるのだから、真面目にがんばれ」ということになるのだと思います。よく言われる教育勅語の12の徳目についてですが、記載はありませんでした。手に入れたのは通信簿ですからあくまで扉的な扱いで、実際に読むものは教科書等に記載してあったのでしょう。なんにしろ、この辺りに関しては調べれば割と出てくるので、特にここで解説する必要はないでしょうね。

さて、本題はこの後に続き、この記事の題名にもなっている「家庭においてご注意ありたき事」です。実はこの前に小学校の本旨などが書かれているのですが、割とさらっと数行で終わっています。それに対して家庭への注意は17項目2ページにわたって続いており、いかに学校が家庭に熱を入れて伝えたいのかがわかるというもの。
それでは、1つ1つ要らないかもしれませんが私の感想を交えて見ていきましょう。
なお、原文の旧かな旧漢字は現代のものに置き換えていますので、あしからず。

1、 この帳簿をうけとられたときは良く見たうえで相乗欄に印を捺してください。
*日本の判子文化は強いですね。なお、成績欄には1つ1つの項目に捺印欄があるので、かなり念入りです。確認する方も大変だ……。

2、 毎日、1年2年3年は30分、4年5年6年は一時間および二時間復習と予習をさせて、その習慣をつけてください、又にあい相乗に1定の仕事をあてがって下さい。
*最近は知らないのと私のころもうろ覚えなのですが、予習復習は概ね1時間以上といわれていたような気がします。高学年で中学受験があれば2時間では足りない気もするので、若干緩い感もします。それよりも重要なのは”仕事をさせろ”と言っていることです。当時は小学生が仕事をするのは当たり前だったのです。中高校生がアルバイト禁止されている場合じゃないですね。

3、 児童の欠席・遅刻・早引きなどは学業の進歩によほど害がありますから病気と忌引きとの外はなるだけさせぬようにして下さい。
*”学業の進歩によほど害がありますから”という言葉に力を感じます。不登校などもってのほかですね。学校しか勉強できる機関がないので、塾などがある今と違い影響も大きかったのだろうとも思われます。

4、 児童の働いて得た金はぜひ貯金させてください。なお、金銭を無駄遣いせぬよう注意してください。不審のあるときはすぐ学校へお掛け合いください。
*小学生が働くのは当たり前ですが、残念ながらお金は自分の自由にはならないようです。この書き方を見るに、買い食いなどしようものなら/疑われたなら、学校に連絡が行くようです。小学生のころからうかつな行動はできませんね。

5、 身体・頭髪・着物などはいつも清潔にさせてもらいたい、特に女子の頭髪は時々洗って臭くないようにさせてください。
*昔の子供は汚かった、とは聞きますが、実際手を焼いていたのだと思わされる文章。綺麗好きといわれる日本人も実はかなりの割合で洗っていなかったのだと思われます。「特に女子の頭髪~」は女子だから髪を綺麗にしてほしいと特に女子の髪は臭いのどちらともとれるのですが、両方の場合があったのではないかと推察します……。

6、 手拭きと鼻紙とはいつももっているようにさせて下さい。
*今でも割と注意されているように思いますが、ハンカチとティッシュではなく、手拭きと鼻紙という書き方には和の心があります。

7、 学用品は時々調べて足らぬものは買ってやって下さい。
*こういう注意があるということは買わない親がいたという事でしょう。もしくは、なくなっても言わない子供がいたのか、その両方か。

8、 手拭きや学用品等にはぜひ見やすいところに学年と姓名を書かせて下さい。
*なんでも最近は名前を他人に見られると危険ということで隠す傾向にあるらしいのですが、まだまだそんなことはないので、”ぜひ見やすいところに”書かせるようにと指導されています。もう一度言いますが、「書かせる」であって「親が書く」ではありません。学年と姓名を書くのも教育の一環だからでしょう。

9、 平常のいるときはぜひ持たせてください。また、あまり少なく持ってこないように注意してください。
*文房具が使っている途中でなくなるといったことはないようにとお達しです。あまり予備も学校も友達もなかったのではないでしょうか。借りるなんてもってのほかとも読めます。

10、 手足の爪は常に短く切らせてください。
*社会のマナーです。なにより衛生面では苦労していた時代ですから……。

11、 時々児童の成績物をおまわしいたしますから、よく他と見比べてご覧ください。
*個人的に衝撃的だった1文。なんと、成績は各家庭で回されていたのです。「うちの子はあそこさんところの子に比べて出来が……」なんて話題になったのでしょう。親にも見せるのを憚る通信簿がクラス中の親の目にも入るなんて……成績の振るわなかった子にしてみたら考えただけでも眩暈がしますね。

12、 父兄会や常番参観のときはぜひ御出で下さい。
*今でいう「保護者会」と「授業参観」になるのですが、いつの間にか使われなくなった言葉。父兄についてはなんとなく想像がつきますが、常番参観は時代が下ると分かりにくくなったからですかね?

13、 身体検査には十分ご注意あって標準身体票と御比べになれば自分の子供はなみの子供より体格がよいかわるいかがわかりますから、わるいときはご注意が大切です。
*これまた衝撃の1文。通信簿には身体検査の結果も載っており(単位は尺と貫!)、これが成績と一緒にクラスの他の子と比較されてしまうのです。隣組はなくとも、この時代の各家庭同士、そしてその中にいる子供たちのプレッシャーというのは相当なものだったと想像できます。

14、 児童の品行のよしあしは成るだけ学校へ御知らせください。特に受け持ちの先生へお会いになったときは何もかもうちあけてお話をしてください。お隠しになりますと却ってお子供のためになりませぬ。
*子供のあらゆる行動は学校に持ち込んで解決することになっていたようです。「お隠しになりますと却ってお子供のためになりませぬ」という言葉が刺さります。最近の学校はここまでコミットできませんから、かつての学校というのはいかに強かったのかということを思い知らされます。

15、 1月1日、紀元節、天長節、卒業証書授与式、運動会、学芸会等にはなるべく参列してください。
*卒業式・運動会・学芸会は今でもありますが、さらには正月と紀元節と天長節に参加する必要がありますから、当時の親は大変だったろうと思います。というか、子供がいる家庭は正月・紀元節・天長節は学校に行くものだったのですね。

16、 児童教育についてのご意見は何事によらず遠慮なくお申し出を願います。
*今、この1文を見るとモンスターペアレンツを思い起こしてしまいますが、当時は皇国を背後にした学校側の権力も絶大なので、言うことにも慎重にして、うっかりめったなことをいうとそれこそろくなことにはならなかったと思います。

17、 この連絡簿の通信欄をよくお使いになってお子供のしつけをなさることは教育上大切なことでありますから、子供のためを考えられますならば、どしどし通信を願いますわるいお知らせがあったとて操行評を下げるようなことは致しません。子供のわるいくせは学校と家庭と話し合ってなおすより外に道はありません。

*通信簿をつかってしつけることが大切、ということで、成績には影響しませんとはいいますが、学校とはとにかくかけあっていくようにと、そういうことでしょう。良いか悪いかは別として、学校がかなり家庭に入り込んでいくことによって真っ当な人間にしていくのだという自負心が伺えます。個人的には、外に道はない、ということもなかったように思いますが……。今の子供は特に学校に大きくコミットされませんが、かつてよりむしろずっと賢くお利口さんだったりしますからね……。


全体の言い回しが丁寧なようでなかなか鋭さを感じるのと、あと、割と漢字表記が少なめなのが印象的でしたかね。
教育問題が色々といわれる今日この頃。あえて、昔の教育を振り返ってみるのも一興ではないでしょうか。
色々な意味で、ちょっと刺激が強すぎるかもしれませんが……。




テーマ:子育て・教育 - ジャンル:学校・教育

  1. 2016/10/03(月) 18:08:02|
  2. ちょっと硬めな勉強のお話
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ロシア旅行記(後編)

前篇に引き続き旅行の後半について書いていきたいと思います。

8/2
朝は再びサンクトペテルブルグ市内を観光。最初に訪れたのはカザン大聖堂です。
ここは歴史的にも重要な聖堂なので、個人的にも行ってみたかった聖堂の一つ。
IMG_4635.png
内部は残念ながら撮影禁止なので外観のみ。後述する血の上の救世主教会もそうですが、ロシア正教の教会は西側の教会に見慣れていると違いが多くて楽しいですね。
IMG_4643.png
続いてウォーゲーミング社を訪問。サンクトペテルブルグ市内からは少し離れたところにあり、バスで約30分~1時間程度かかったと思います。
こちらはWorld of Warships(以下WoWS)の開発会社であり、コアなウォーゲームファンならPacific StormやThe Entente: Battlefield WWIを開発したLesta Studioだと聞くとピンと来る人もいるのではないでしょうか。とはいえ、私も事前に調べてはいなかったので、オフィスに同社が過去制作したゲームが飾られていたのを見てようやく気がついたのですが。
IMG_4649.png
私自身はゲーム会社に勤めている人の話は聞くものの、ゲーム業界人でもなんでもないため、はじめてみる物も多く色々と興味深かったです。
特に印象深かったのは、制作会社として非常に規模が大きい事(350人くらいとのこと)、部屋のスペースに余裕があって机が広く、また各フロアにセキュリティーが敷かれているといった態勢は日本の会社ではなかなかお目にかからないので珍しかったです。
大規模プロジェクトなだけあって各部門に分業化が徹底されており、プランニング、テスター・デバッグ、音響、モデリング、シーナリー、歴史資料・監修にはそれぞれ作業部屋と統括するリーダには専用の部屋が用意される等充実していました。
各部屋では案内の女性が進行途中でちょっとしたクイズを用意するなど、楽しませる努力も見られます。
ちなみに、ここでも源文先生はツアーの進行には目もくれず可愛い女性社員にサイン入り漫画を渡してナンパし、楽しそうに写真を一緒に撮っておられました。創作活動するからには誰もが見習うべき弛まぬ営業努力ですね。
IMG_4669.png
ゲーム関連の部門が充実ぶりも目を見張りますが、実は元々Lesta Studioは映像会社として出発しているため、現在でも強いのは映像部門。WoWSの起動時や宣伝用に作られた美麗な映像はこの映像部門が以前から培ってきたもので作られているわけですね。
特別に未公開映像も見せていただき、お土産にウォーシップカップも頂いたという優遇ぶりでしたが、さすがこの手の分野に入れ込んでいる方々からは映像に関して厳しい意見が飛び交います。個人的にはよかった部分も多く、できればゲーム・映像を趣味で作っている端くれとしても製作者の方々とも色々お話しできればよかったのですが、スケジュールが決まっていて大人数のツアーだけに帰り際僅かに話せたぐらいだったのが残念でしたかね。
IMG_4673.png
War gaming社内の食堂で昼食後は再びサンクトペテルブルグ市内へ戻り、軍装店へと向かいます。
個人的にはそこまで軍装を付けたいという意識は低いので、店が狭いこともあり外で他のツアー参加者の方々と話しつつ待っていたのですが、客層として結構しっかりと軍服を着こんだご老人から、家族連れまでやってきており、艦船見学と同様、幅広い年齢層の人達が軍事関係に訪れるロシアの様子はとても面白かったです。
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その後、再度サンクトペテルブルグ市内の自由観光。
私は血の上の救世主教会とロシア美術館に行ってきました。
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血の上の救世主教会はカザン大聖堂と違いソビエト時代の扱いと観光名所として確立したこともあって中でも写真は撮り放題でした。目を引くのは美麗な聖人達の絵であるイコンと各種色とりどりの装飾。西側の教会と違いキリスト像やステンドグラスがないのも大きな違いですね。あと、教会の中に連なるお土産屋。西側も全くないわけではないですが、ここまで多いと不思議な感じがします。
土産物屋といえば、こちらも観光スポット周辺には京都などと同様出店が出ているのですが、それほど売り子が熱心ではないのが気になりました。まだ、同人誌即売会の方が熱入っていますね。全体にソビエト時代の名残なのか、特定の力を入れている個所以外のビジネスにはロシアはあまり執着しないように思えました。
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残りの時間で入ったロシア美術館なのですが、こちらは広大な敷地に案内板があまりないということもあって迷ってしまい、残念ながらあまり見て回ることはできませんでした。英語の案内もあるにはあったのですが、部屋によっては全くなくなってしまうこともあり、最後ちゃんと元の集合場所に帰れたのは奇跡的だったように思います。それでも個人的に好きだったボルガの船曳の実絵が見れて、ひとまず目的は達したというところですか。
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また、移動している途中で僅かな時間でしたが本屋に立ち寄ることもできました。
簡単な写真か絵の多い歴史/軍事系の本があれば欲しかったのですが、思ったほど本の種類は少なく、気に入ったものは手に入らなかったので戻ることに。話によればサンクトペテルブルグ一大きな本屋らしいのですが、それにしては日本や西側欧州諸国の本屋に比べると充実度もそれほどなかったように思います。英語の本等が混ざったりしていたので、この国ではそれほど出版事情が良くないのかもしれません。
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夕食後はそのまま夜行列車に乗ってモスクワへ向かいます。駅へ向かう途中、強烈な雨が降り、更に気温が一気に低下。さっきまで暑いと言っていたのから一転し、寒さに震えることに。ロシアはとにかく暑くて寒い国でした。
寝台列車はひたすら狭く、4人部屋に荷物を入れるとほとんど寝る以外できないものでした。添乗員さんの話だと就寝時に窃盗が相次いでいるというので、必ず鍵をかけ、トイレに行くときには誰かを起こしておくということになります。サンクトペテルブルグからモスクワは距離が長いため客車はディーゼル車で引っ張り、途中で一度補給するという珍しい状況を楽しむ……余裕はありませんでしたかね。それでも、思ったより客車自体は新し目だったのと揺れは酷くなかったので私はそこそこ熟睡できたように思います。

8/3 
朝6時頃にモスクワに到着。そのまま午前中はクレムリンと赤の広場を中心にモスクワの市内観光へ。
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この日は偶然にも空挺降下兵の閲兵式があるということで、赤の広場は朝から閉鎖。外のフェンスから有名な建物の数々を写すしかなかったのですが、その降下兵達の行進を見ることができるという、この手の趣味の人にとってはむしろサービスといえる状況でした。
恐らく、このまま待っていれば再度プーチン大統領登場……ということも考えられたのですが、最大の目的であるクビンカが待っているので先に進みます……。
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ボリショイ劇場、モスクワホテル、カールマルクス像と立ち並ぶ広場は圧巻でしたね。
時間が短く僅かしか見られなかったのが残念です。とりあえずツアーのみなさん、世界を変えた最強の引きこもり、と言って拝んでいました。
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大祖国戦争の英雄ジューコフ像を拝む。自作ゲーム、WWII英雄列伝シリーズの次回作以降の有力候補です。
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兵隊の交代式も見ることができました。元々赤の広場にあるレーニン廟を訪れにソビエト中から集まった人に見せるためにはじまったのだとか。
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第二次大戦の慰霊モニュメント。各都市の名前は当時のものになっています。
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モスクワ市内観光の後はいよいよツアーのタイトルにもなっている世界最大の戦車博物館がある郊外のクビンカへ。
ここから夕食までずっとこの博物館で戦車を堪能するのでテンションがあがります。ですが、高速で事故渋滞に巻き込まれ、予定より1時間以上もオーバーして到着することに。
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それでもなんとか辿りついたクビンカ博物館、以前は戦車の入った倉庫が立ち並ぶだけの本当に好きな人以外お断りな場所だったらしいのですが、どうも観光スポットとして最近は力を入れている様子。入口から他のロシア観光名所を越えるしっかりした作りで出迎えます。
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博物館敷地内でランチ。子供用の遊具や売店等も配備されており、意気込みは感じますがまだまだ一般向けになるような可愛さが若干足りません。子供用遊具の横に刺の付いた大きな機雷がどかんと鎮座しているのは安全だとしてもなんともいただけない雰囲気……。
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ドイツ戦車の多くは残念ながらレストアに出されてしまっており、残っているのは僅かでしたが、この博物館にしかない目玉車両はちゃんと展示されていたので一安心。念願のマウスとカールにご対面。シュタール・エミール、ヴァッフェントレーガー、1号対戦車地雷処理車、クーゲルパンツァーなどレアな車両もここでしか見られないので、とても嬉しかったです。
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見たことがある車両でも他の各国戦車とすぐに比較できるので、印象が変わったものも。英米軍の戦車は結構大きくて迫力があります。このチャーチル・クロコダイル火炎放射戦車はなかなかレアな一品。IMG_4894.png
ですが、なにより展示品の種類と量で圧倒されるのはソ連戦車達。T-55なんて10両ぐらいバリエーションがあったような気がします。T-34もあちこちで見かけるので、最初は感激しても段々いて当たり前、な感覚になってくる恐ろしい所。全般にソ連戦車は背が低めで、他国の戦車に比べると小ぶりな印象を受けました。
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日本・ポーランド・ハンガリー・中国・イタリア・フランス・スウェーデンの戦車は一つの建物にまとめてありました。日本戦車の保存状態の良さに驚くとともに、恐らくはロシア人が推測して書いたと思われる妙な文字が目を引きます。カミ車をソ連が持っている経緯を知りたかったのですが、解説の人はそこまで多くを語ることはなく。
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館内は薄暗く通路も制限され、写真を撮るにもじっくり観察するのに向かないので、どちらかというと屋外展示の方が魅力的でしたね。写真はT-70軽戦車。詳しいことを知るだけなら実際問題専門書の方が優れているのですが、こうして実物を目の当たりにするとモデルを作りたいモチベーションが湧きあがってきます。
写真の後ろは射撃場になっており、私はやらなかったのですが、お金を払えば空砲を打たせてくれるサービスもあります。
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その後はクビンカからモスクワ市内に戻って食事後空港へ。日本の8/3の夜中に到着。そのまま解散となりました。
帰りの飛行場まで体調を崩したままの人もいましたが、比較的余裕を見ていたスケジュールのおかげで大きな遅れはなく無事搭乗・出発できました。
ただ、搭乗後、飛行機の中で知ったのですが、経由地のドバイで私たちの乗っていた機が飛び立ってから3時間後に事故があったらしく、結構間一髪だったようです。もし、巻き込まれていたらもうしばらく日本に帰れなかった可能性も……。

以上、旅の間は様々なトラブルがありましたが、最終的には大きな問題もなく無事帰国できましたし、まず普通はなかなかいけない場所、できない体験が色々できて、なにかと厳しい国でもありながら現地の人とも打ち合わせと調整を重ね最後まで進行していただいた添乗員さんには特に感謝の念が堪えなかったです。
また、このような企画があればぜひ参加してみたいと思える旅行でした。




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  1. 2016/08/13(土) 16:31:10|
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